先日のマイムグループ「舞夢踏(まいむとう)」のオムニバス公演で、小さな団体作品を作・演出したんですけど、
一番好きだ、と言って下さる方がいたり、こういう作品が観られるのは有り難い、と言って下さる方がいる一方、
何のコメントもない方も多く、
抽象的だけど分かりやすい、という方と、分からない、難しいと言われる方と、
また、途中までは分かったけれど、最後が分からなかった、という方がいる一方、
最後でよく分かった、という方もいる。
ふ~んむ・・・
年に1回の「舞夢踏」公演で、これまでに10本くらい団体作品を作・演出しているんですけど、だいたい、いつも、こんな感想なんですよね。
人の見方というのは、実に様々でありますね。つくづく、です。
この様々な見方に振り回されてしまいますと、自分を見失いかねませんけど、見て興味を持ってもらわないことには・・・です。
今回の作品『いつもどこかで、いまここで。』は、この世の、渾沌的な有り様を。
前回の『世界=(私の世界)n乗』(ほんとは、nを()の右上に書く、数式の書き方なんですけど、ここでは、どうやって表示するのか???なもので・・・)は、この世の広さ、狭さみたいなものを。
前々回の『吸い取りゲーム』では、生きるエネルギーの奪い合い。
さらにもうひとつ前の『種はすでに、花を宿していて』では、結果とは、結果が表れる前に決まっていること。
と、ここ何回かの作品です。
いつもここで書いているような、ちょっと抽象的なことをテーマにしています。
で、観て下さった方の感想は、いつも同じような感じ。
私としましては、何とか誰にでも伝わるようにと、心掛けてはいるんですけどねえ・・・
ただ、私は、「私」というのは、どうでもいいのです。
別に私の考えとか、ものの見方という、個人的なものを見せようという気はないんです。
私は、舞台用のマイム作品では、楽しんでもらいつつも、観て下さった方に、何か新しい視点が生まれ、何かこれまでとは違う考えをする、きっかけになることを、願っているんです。
ですから、簡単に分かった気になってもらったり、ただ楽しかったぁと、それはそれで、困るんですね。
刺激として、長きに渡って潜在意識に残っていて欲しい。
そして、深いところで、その観て下さった方の、生命の輝きに繋がることができれば、これ以上の喜びはない、という感じです。
私は思いますに、ただ楽しいとか、面白いというのは、その場限りの受け身的なもので、真の生命の輝きには繋がらない。
人は何かに気が付いた時、発見した時、分かった時、といった、これまでとは違う世界に、能動的に、あくまで能動的に触れた時、生命が輝くんだと思っているんです。
毎回必ずある感想で、
「考えさせられます」
というのが、実は一番嬉しいんです。
来年の感想はどうなりますか・・・楽しみです。