前回から続くことなんですけど、マイムの作品を作ることは、正直、私にはまだよく分かりません。
ここでは、団体で演じる舞台作品に、お話を絞りますけど、私は基本的にストーリーを作ってはいけないと考えているんです。
お話の筋を追わせるようなものは、いけないと。
もちろん、これに異を唱える方もいらっしゃるでしょうけど、仕方ありません。
私は、いけないと思うのですから。
お話の筋を追う必要があるものでしたら、何もマイムでなく、セリフを使った方がいいと思うのですよ。
何をしているかを観る人が考えながら、筋を追うという、余計な負担を、観る人にさせることは、何の意味があるのでしょう?ってことです。
ただ、もちろん、ダンスなどのように、基本的に意味やストーリーを考えさせずに観させるとなりますと、マイムではなく、それこそダンスにすればいいわけでして・・・
となりますと、どうしたらいいんでしょう???
答えは出ていません。
とは言いましても、まあ、確かに、徐々に毎年の試行錯誤で、ある形は出来つつある気はしています。
私の仲間も、それは感じているようで、ある仲間曰く、今回の『いつもどこかで、いまここで。』を観て、
「ようやく、JIDAIさんのやりたいことが、成就したって感じですね!」
って、嬉しそうに言ってくれました。(ありがと~)
ただ、出演メンバーの技量という問題もあり、その辺りのことも含めて、作品作りをしなくてはいけませんから、未だよく分からない(とはいえ、見えつつもある)理想と現実との戦いではあります。
私は基本的には、絵で考えます。
テーマや、ストーリーではありません。
印象深い絵は何か?
どんな動きをしている絵が面白いか?
ここからスタートし、そこに前回お話しましたような、例えば今回でしたら、この世の混沌的有り様、といった感じの、観る人の思考を刺激するようなものを、入れ込むんです。
ですから、絵として感覚に訴えながらも、思考を刺激するということを志して、形にしていくわけです。
何も考えなくとも、何か絵的に楽しめるといった感じと、その意味するところを考えると、それはそれで、楽しめるといった、そんなものを目指してきたんです。
今までは、そんな感じでした。
ただ、これからのことを思いますと、今後は、あまり意味というものを、入れ込みたくないなぁと。
なんだかよく分からないけれど、感情的なところに刺激を受けた、みたいな、
時間軸で内面を表現するのではなく、
空間的に、絵的に、時間を切り取った写真のように、内面を感じさせる。
それも、舞台という時間軸の中で、楽しんでもらいながら・・・
まあ、ずいぶん前に一度、試みはしたんですけどね。それは失敗に終わってしまいまして・・・
今は、もう少し違う形で、うまくいけるような、そんな気が。
アイデアが熟成してくれますように。