オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2005/11/29 Tue マイムの世界って・・・

マイムにはマイムの表現し得る世界、マイムでしか表現し得ない世界があるって、思うんです。が、私の知る限りでは、それがどうも曖昧な感じなんです。
単に、マイムっぽいテクニックを使って、無言でやっていればいい、みたいなところがありまして、ピエロにコントに、一人芝居にダンスにと、まあ何でもありなわけです。

さらに、無言のお芝居イコール、マイムみたいなところがありますから、セリフを使う普通のお芝居でも、マイムの訓練があったり、クラシックバレエにもマイムがあったりします。
けれど、マイムをテクニックとしてではなく、表現の分野として考えた場合、私の考えるマイムの無言芝居は、単なる無言芝居ではなく、様式美を持った歌舞伎に近いものなんです。

姿・形のところで触れましたように、マイムは形を通して姿を見せるもので、ポーズや動きが目につきすぎてもいけませんし、想いだけ強くて、ポーズや動きが絵にならないようでも、足りません。

「壁」とか「ロープ」のような、トリッキーなテクニックより、例えば2、3歩先の物を取りに行くといったような、何でもないことをしている時の、姿・形の方がはるかに重要でして、バレエにしましても、跳んだり回ったりだけではバレエになりません。それ以外の何でもなさそうなところに、一分の隙も無い形や動きが要求されるように、マイムもトリッキーなテクニック以外の、無言芝居の姿・形について、もっと考えなければいけないと思うんです。

そして隙を無くすには、心の問題もありますけど、まずはテクニック。
歌舞伎にしましてもバレエにしましても、形・振りがあり、そこに心をのっけていくことで、作り上げているように、マイムも芝居の部分を、個人の感性任せにするのではなく、テクニックとして形を作っていく必要があると、思うのです。

そうして初めて、マイムの表現し得る世界、マイムでしか表現し得ない世界が現れてくるんだと、思いますよ。
俳句が五・七・五という形式で、縛られることによって、独自の世界観を示せるように、マイムも曖昧な無言芝居をなくし、全てにおいてテクニックで縛ることで、独自の世界観を示せると、思うのです。

マイムは何処へ行くんでしょう・・・