オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

ほとばしる・・・

ほとばしる・・・

たまたまなんですけど、和太鼓の演奏を屋外で生で間近で聞きまして、それは、都立深沢高校の和太鼓部によるもので、

これが、いや~ぁっ!素晴らし過ぎます!

特に、あるひとりの女の子が、信じられないくらいの、エネルギー。

体の奥底からといいますか、魂そのものからといいますか、
そう、

ほとばしっているんですよ。

演奏のテクニックがどうの、ということは、私にはよく分かりませんけど、その女の子を見ているだけで、

涙が出てきてしまいました。

で、何が他の子と違うのか?

決して、高校生という若さのエネルギーではないんです。

他の子も、もちろん情熱を込めて、エネルギー全開!で演奏しています。

気持ちはみんな同じだと思うんです。

けれど、見えてくるもの、こちらに届いてくるものが、全く違うんです。

異質なんです。


・・・そう、体の動きなんですよ。

以前の私や、普通の人が見ますと、きっと、

「のびのびした動きだなあ」とか「元気いっぱいやってるなあ」とか、そんな感じです。

けれど、今の私には見えるんです。
だから、泣けるんです。

ひと言で言ってしまいますと、体幹が使えているんですね。

前回、呼吸の話をしましたけど、呼吸が動きを生み出しているんです。呼吸の力が使えているんです。

ですから、例えば、みんなで一斉に、演奏しながら少しジャンプしたりするんですけど、その子だけ、タイミングが違う。

他の子は、ジャンプするためにジャンプしているんですけど、その子は、その直後の打ち込みに直結したジャンプなんです。

いえ、プラス、ジャンプ直前の打ち込みの反動みたいなものが、ジャンプになっているとも、言えます。

動きに、終わりも出発も無いんです。

波なんです。


体の中の波が、大きくなったり、小さくなったり、それが、体の外側に、動きとして現れる。

だから、こちらの体が、心が、波打つ。

・ ・・何を言っているのか、よく分かりませんでしょうか・・・この辺のことは、やはり自分の体での理解がありませんと、頭(言葉)だけでの理解は、不可能・・・

とは言いましても、理解は出来なくとも、目にすれば、誰もが間違いなく、感じることは出来ます。

よほど、体や心が固くなっていない限り、感じてしまうはずです。元来、誰もがその力を、内に持っているんですから。

(その力に気付き、引き出すのがJIDAIマイムであるわけですね。)

と、まぁ、とにかくですねえ、躍動感が違うんですよ。

そして、そんな体から出てくる心は、なんと生き生きしたものか!

心も、その奥底からのうねりが表に出てくるんです。

聴いている、観ている人の、魂が、揺さぶられないわけが、ありません。


同じだけの情熱をもってやっていても、体の使い方が違うと、これだけ伝わるものが違うのかと、改めて思い、

同時に、体の本質力に目を向けたマイムをしてきたことで、こういった理解と、感動を味わえるようになった自分を、ありがたくも思うわけです。

以前の体の固さでは、すなわち、心の固さでは、決して涙なんて流さなかったはずです。

体が、心が、感じるだけの、受け入れるだけの柔らかさが無かったでしょうからね。

いや~ぁっ、それにしましても、ひとの無私の姿、魂わき踊る姿というものは、美しいっ!

美しいっ、美しいっ、美しいっ!