オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

にじんだ世界

この私達の住む世界といいますのは、どのくらいの広さを持っていると、思われますか?

物理的なことではありません。
心理的といえば、いいんでしょうか・・・

数年前の私の作品タイトル『世界=(私の世界)n乗』のように、基本的には、人の数だけ世界があり、ですから、全世界の広さというのは、途方も無いもの。

お互いの世界も、重なっている部分があるのやら、無いのやら。
おそらく、重なったところは、無いでしょう。

けれど、重なっていなければ、どうやって、お互いを理解するんでしょう?

重なっていない部分というのは、理解のしようがないはずです。
だからこそ、重なっていないとも、言うわけでして・・・

重なっていると、思うときはあります。ありますけれど、こちらがそう思っていましても、向こうがそうとは思えないのであれば、やはり重なっていないんでしょう。

お互いが重なっていると、思えていたとしましても、本当に全くズレが無いと、言えるんでしょうか?

何かのときに、あれっ?って、ほんの僅かでも思うことが生じるのなら、やはり、それはズレていたんでしょう。

重なっていた・・・幻想だったんです。

こうやって書いてきますと、私達は、なんて寂しい、孤独な世界に生きているんでしょう、と思ってしまいますね。

だからこそ、人との繋がりを求める。

重なっているところがあると、信じて。

で、信じ過ぎて、本当は孤独なんだということを忘れてしまうと、何かのときに、

裏切られた

信じていたのに


という気持ちが生じる。

重なりを信じなければ、裏切られることはないけれど、重なりをあきらめてしまう人生は、寂し過ぎる。

あぁ・・・


それにしましても、重なるとか、重ならないとか、それぞれの世界が、はっきり境界線をもっているから、生じる出来事。

境界線がぼやけていれば、重なっているのやら、重なっていないのやら、の世界。

そうしますと、よくいわれます、

「私たちは、本当はひとつなんだ」

の世界が出来上がります。

ただし、いろいろな色がにじんだ、一色ではない世界。

ひとつでありながら、一色ではない。


・・・やっぱり、それぞれの世界でしょうか?孤独な世界でしょうか?