久しぶりに声のお話。
歌や芝居などをされている方は
ご存知かと思いますが、
発声で響かせられるのは
母音なんですね。
子音は響かせられないんです。
音を伸ばせないこととも
関係していますね。
以前にも、
このことには触れたことがありますけれど、
私は言葉としてではなく、
母音での音としての響きを
探求してきていたものですから、
能の謡いを学び始めたとき、
ものすごく大変だったんです。
子音を交えますと、
単発でならともかく、
言葉としてスムーズな連なりでは
強い音を出せないんです。
この頃、
動物が言葉を喋れないのは
子音を使いこなせないからだと、
自分の中で妙な納得感があったんですよね。
声の音としての響きと
言葉としての声とは、
全く異なるものなんだなと。
もちろん、今では
その問題は乗り越えているのですけど、
このことを改めて考えてみたんですね。
今はゴスペルの教室?に通っているのですが、
皆さんの声を聞いていますと、
もっと響かせられるようになるのに、
と思うわけです。
発声練習が無くなないのですが、
やはり言葉があることが前提
なんですね。
当たり前ですけど(笑)
けれど、その前提を一旦外して、
純粋に音としての発声に
向き合うことで、
思ってもみなかったところに、
ぽん!と飛び越えられるのではないかと
思ったんです。
共鳴器官としての
身体開発に注視するんです。
言葉を前提としていますと、
どうしても口の中の使い方が
制限を受けてしまいます。
その制限から解放されたところで、
発声することで
これまで使えていなかったところが
目覚めてくれます。
そうやって目覚めたところは、
再び言葉(子音)という制限を加えても、
機能してくれるんですね。
運動でもそうですけど、
目指す動作の練習だけでは
上手くならないんです。
一度、
要素ごとに分けて
取り組むことで
これまで苦労してきたものが
あれ?という感じで
出来るようになったりしてしまうものなんです。
発声から、
言葉という前提を外し、
音だけを取り上げる意味が
ここにあるわけですね。
そこに、今度は
音(響き)という要素を外して
言葉としての声だけに取り組むことで、
両者の高度な結びつきを
実現させようというわけです。
いかがですか?
もし、このような発声を探求したいけれど
自分一人では難しそうだと感じられる方は、
個人レッスンでお受けします。
一度、こんな感じで取り組んでいけば良いのか!
と分かりますと、
その後スムーズに自主稽古が
続けられると思いますよ。