オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

武術的な身体の使い方が、なぜ身体表現に必要なのか? 2

前回の予告通り、

 

舞台表現・・・

芝居やダンスだけでなく、

フィギュアスケートなど、

その表現の質の向上に、どのように

武術的な身体の使い方が関係してくるのか?

 

 

 

武術的な身体の使い方の大きな特徴である

「浸透する力」

をもとに、お話したいと思います。

 

 

 

と、その前に、大事なお話が。

 

変な言い方になりますが、

 

身体の使い方が良くなっても、

武術的な身体の使い方を学んでも、

表現力は上がりません。

 

 

これまた、変な言い方

と言いますか、

極端なことを言いますけれど、

合気道の達人が、表現力の高い演技が出来ると思いますか?

 

全くいないとは、言い切れませんけど、

出来ませんよね。

関係ありませんものね。

 

 

力が抜けたら表現力が上がる?

 

そんな単純なものではありませんし、

仮に、そうだとしましても、

武術的な稽古を積んだからといって、

表現の際に、本当に必要な力の抜き加減が

出来るわけではありません。

 

※これは、脱力系、筋力系、ストレッチ系

全てに共通していることです。

 

 

では、その上で、本題です。

 

 

武術的な身体の使い方の特徴の一つに

浸透させる力があります。

 

 

筋力頼りですと、ぶつかり合う力

になってしまうんですね。

 

 

浸透させる力の重要性は、

 

舞台表現の場で、例えば、

「この景色」と両腕を広げる場合

に現れます。

 

 

 ※先日の武術研究家である方条遼雨さんとの対談イベントで

 少しお見せしたものです。

 

 

パンチの力が浸透するような身体の使い方が出来ずに、

拳自体に力がこもる筋力頼りの使い方の場合、

両腕を広げながら

「私です!」

と主張しているようになってしまい、

景色という向こうの空間が生まれないんですね。

 

 

これを、気持ちの持ちようで解決しようとしますと、

多くの人が、ほぼ暗中模索状態になります。

 

(つまり、下手なアドバイスとは、気持ちの持ちようを問題視することです)

 

 

本人が、いくら景色の方に気持ちを持っていっても、

観客には「気持ちがこもっているな」と

思われるだけで、

観客の気持ちを、景色という向こうの空間に運ぶことは出来ません。

 

 

 

もう一度、敢えて繰り返しますね。

 

 

観客には「気持ちがこもっているな」

 

思われるだけで、

 

観客の気持ちを、

 

景色という向こうの空間に運ぶことは出来ません。

 

 

 

 

そこで、浸透する力を、

景色(遠くの空間)にまで

及ばせたいわけですが、

手先に限った話をしますと、

空間と指先がぶつからないようにするんです。

 

 

単に力を抜くのではありませんよ。

 

 

力を浸透させるわけですから、

力を生む必要はありますし、

その力がどう流れて指先まで行くのか?

という全身の問題なんです。

 

 

 

曖昧な身体で「この景色」と表現するのではなく、

全身で・・・つまり全霊で

「この景色」と表現できるか?

 

 

 

 

武術的な身体の使い方の大きな特徴である

「浸透する力」が

このような形で舞台表現に応用できるわけです。

 

 

表現といいますと、どうしても

気持ちの問題、時に身体能力の問題にしてしまいがちです。

 

 

どうしますか?

 

 

 

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