「ごっこ遊び」をしていましたか?
アートマイムに限らず、演じるというのは、ごっこ遊び。
バレエやフィギュアスケート、日本舞踊なども演じる要素は強いかと思います。
一見、演じることとは無関係そうなスポーツでも、人によっては演じてると思うんです。
「スイッチが入った」みたいな言葉、聞いたことありませんか?
普段の自分とは違った自分になったということですよね。
演じるという意識は無くとも、違う人間になるような感覚、ゾーンに入るというのとはまた別の、自分を奮起させるモードといいましょうか、記憶に新しいところでは、野球のワールドカップで大リーガーチーム相手の決勝戦を前に、チームメイトに発した大谷翔平の言葉
「今日1日だけは、やっぱり憧れてしまったら超えられない。僕らは今日超えるために、トップになるために来たので、今日1日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう」
これも、演じるということです。
演じられずに、大リーガーに憧れを抱いている普段の自分のままであったら、いい試合は出来なかったかもしれませんよね。
演じていない人は本来いないはずなんです。
『再創造する天性の動き』に詳しいのですけど、私たちは誰と話しているか?どんな場にいるか?などによって、違う自分になっていますでしょ? 役割を演じているというのが分かりやすいですね。
さて、ごっこ遊びですけれど、これは想像力を養わせてくれると言われます。
小さな子供は、大抵誰でもするんじゃないかと思うんですけど、苦手、好きでないこともあるようで、これは想像力の有る無し・強弱というよりも、自分でないものになることに抵抗・難しさを感じるのではないかと思うんですね。
アートマイムに限らず、バレエやフィギュアスケート、日本舞踊などで演じられずに、ただの運動になってしまう人は、ごっこ遊びが出来ないタイプなのかもしれません。
もちろん、それなりの技術が身についていない段階では、それどころではありませんよね。けれど、技術を必要としないような、あるいは既に身についている技術で十分という状態でも、ただの運動になってしまう場合があります。
こういったタイプの多くは、真面目な人という印象がありまして、言われたことをきちんとやらねば!と、意識が固くなってしまうために、動きも固くなってしまう。
真面目に一所懸命取り組むことは素晴らしいのですけど、焦点をずらす必要があるんですよね。
技術的なことに焦点を当ててしまっているので、ごっこ遊びをするということに焦点を当てたいですね。
技術的なことに焦点を当ててしまっているといいますのは、つまるところ、自分自身に目を向けているんですよね。
ごっこ遊びを苦手とするのは、自分でないものになることに抵抗・難しさを感じるのではないかとお話をしましたように、自分のままで何かしようとするために、上手くいかなくなってしまうわけです。
大リーガーに憧れを抱いている自分から離れ、憧れを持っていない人物になれるかどうか?ですね。
ところで、大人になって人前でごっこ遊びをするのは、恥ずかしいという思いもあるかもしれません。
それは、私も分かります。
上手く出来そうもないのに、トライするって勇気がいりますものね。
だからこそ、私のレッスンでは基本的に、段階を追って、身体的な感覚を得てもらいながら、自然とその気になれるようにと進めているわけです。
ただそれでも、自分自身にこだわってしまう人がいるのも事実。
そいう人は、自分では自分自身にこだわっているわけではないと思っていると思うんですけど、目が自分自身あるいは身体・動きに向いていて、「その気になる」ことから目を逸らしていれば、それは自分自身にこだわっているということなんです。
この辺りのマインド、赤ちゃんをあやす「いないいない、ばあ~」には、端的に現れます。
目の前に赤ちゃんを想定して、やってみて下さい。
赤ちゃんを喜ばせるために、全力でやってみて下さいね。
ごっこ遊び、演じることを少しでも楽しめるようになれると、新しい世界が開けると思います。