力を抜くことと、力を入れることは、ある意味、同じことなんです。
抜くことが苦手な人は、実は入れることも苦手だったりします。
入れているつもりで、単に関節を押し付け合っているだけということもあります。
大雑把に言いますと、それも力みになるのですけど、力を入れ過ぎている力みとはちょっと意味合いが違うんです。
どちらも、動きは悪くなるのですけど、関節を押し付け合っているだけの場合、力はそれほど使っていなかったりするんです。
力の入れ過ぎとは、筋肉の縮ませ過ぎなわけですけど、関節を押し付け合うだけの場合は、関節の「すきま」を潰す分だけ骨を動かせば良いので、それほど筋肉は縮む必要がない。
むしろ、関節を押し付け合ってしまうことで骨はもう動かせないので、筋肉をそれ以上は縮ませようがない。
エネルギーは「すきま」を通る。
ずっと言い続けていることですけれど、関節を押し付け合わせることで力を出そうとしてしまいますと、動けなくなるんですね。
もちろん、全く動けないということではありませんで、ただ、動きがゼロか100か?みたいな感じになりやすいということ。
スイッチのオンオフしかなく、ボリュームがない。
ですから、動きが硬い。柔らかな動きにならないんです。
(関節が柔らかくて、脚が高く上がるとか開くというのは、全く違うことなので注意が必要です。)
「すきま」を潰す人は、その分どこかで力の逃げを作りませんと動けません。
スイッチをオフにする感じですね。
(脚が高く上がるとか開くというのは、スイッチをオフにしているだけの可能性が高いのです。)
こういうタイプの人は、動いている時はもちろん、動かなくても、点や線、面、四角ぽくなります。
ゼロと100の間がないので、滑らかさ、柔らかさ、立体感、つまり丸みが生じないんです。
力を抜く・入れるとは、スイッチのオンオフではなく、筋肉の縮ませ加減。
私の言葉で言いますと、骨の移動の加減。その調整力の問題です。
いずれにしましても、調整であって、ゼロか100かの話ではなく、ゼロと100の間のお話ということですね。
(その上で、間のメモリをどれだけ細分化できるか?が重要に。)
ちなみに、関節を押し付け合う、つまり「すきま」を潰すことで力を出そうとしますと、動きにバネが生じません。
バネといいますのは、(外力で)縮ませようとする力に対して、伸びよう・広げようとする力が働くこと。
けれど、関節を押し付け合う、「すきま」を潰すことで力を出そうとしていては、まさに文字通り、伸びよう・広げようとする力はありませんでしょ?
むしろ、ますます押し付け合い、潰れてしまいます。体、壊してしまいますよね。。。
長年、関節を押し付け合うことで力を出していますと、筋肉はあまり働いていませんので、硬くなってしまいます。
筋肉の縮み力はもちろん、伸ばされ力も失われています。
あるいは、縮みっぱなし、伸ばされっぱなし。
いずれにしても、弾力のない筋肉に。
私はクラスで言うんですけど、「瑞々しい筋肉になりましょう!」「身離れの良い魚のように」と。
反対に、「ビーフジャーキーのような筋肉にならないように!」と。
エネルギーは「すきま」を通ります。「すきま」は広がりですね。
エネルギーを流せますと、丸みが生じます。
角張ったところでは、流れは悪くなりますでしょ?
まずは、関節の押し付け合いをやめることからかもしれませんね。