自分の外への関心、内への関心。
外と言いましても、他者や社会という意味ではありませんけれど、
これ、どちらかに偏りがちです。
偏りはいくらかあるものですけれど、大き過ぎる人が多いようです。
それも、自分の外への関心に。
先日、SNSでこんな言葉をアップしました。
現時点での身体能力はどうであれ、
「今、自分がどうなっているか?」
への興味の強さが、伸び代になる気がします。
伸び悩んでいる人は、
「今、自分は〇〇をやろうとしている」
への関心が強い。
これ似ているようですけど、全然違うんです。
前者の「今、自分がどうなっているか?」は、内。
後者の「今、自分は〇〇をやろうとしている」が、外です。
後者も内のようですけど、外なんです。
と言いますのは、後者は意思ですよね?
この意思とは、自分から離れたところにあるものでして、だからこそ何でも思い浮かべられるし、考えられるわけです。
実現性は全く無関係です。
例えば、「社会的成功を手にしようと頑張っています」としまして、本当にその取り組みが適したものになっているかどうか?随時チェックしているか?
例えば、「幸せになりたい、なろうとしている」として、本当にその取り組みが適したものになっているかどうか?実際のところ、どうなっているのかをチェックしているか?
みたいな感じで、側から見て、「頑張っているのは分かるけど・・・」「頑張り方が違うんじゃない?」と思うようなことありますでしょ?
実際にどうなっているのか?というのは、自分の内側で起きていること。実際に起きている現実。
それに対しまして、意思と言いますのは、自分の外なんです。実際の現実とは無関係に存在しています。
「思考は現実化する」みたいな言葉がありますけれど、あれは思考ではなく感情です。
感情を伴ったものが現実化するんです。だから、多くの人は思考が現実化しないんです。
何かをやろうという気持ちを持って行動していたとしましても、現れるのは行動の結果であって、思うような結果が得られるわけではありませんね。
自分の内を見るとは、現実を直視するということ。
自分の意思の方に目を向けているのは、現実から目を背けているということなんです。
いえ、背けていないにしましても、現実を見る目が育っていないこともありますね。
客観視が上手く出来ていないということです。
自分を他人のように見られるか?です。
一歩引いて、見られるか?です。
これが、潜在的に意思への関心が高いがために、一歩引いているつもりで引けていない。
目線が、内に向かっているつもりで、反対側、外に向いている。
そのことに気がつかない。
なぜなら、本人は内に向けようと思っているから。思っているのだから、向いていると考えてしまうわけです。
堂々巡りですよね?
どうしたら良いのか?
答えはただ一つ。
他人からの言葉を素直に聞き入れることです。
自分の外である自分の意思に目が向いていますと、内に向かわせようとする他人の言葉に対して大きな抵抗を感じるはずです。
「そうかなぁ」「そんなことないんだけど」と。
SNSで上げた身体能力の件で言いますと、
他人の言葉に対して、本当に「そうなんだ」と思えるかどうかが、大きな伸び代になります。
そうして、今動いている自分が実際のところ、(〇〇をやろうとしているではなく)どうなっているのか?を直視出来るようにしていく。なっていけると思うのです。