絵は足し算 何もないところに足していく
写真は引き算 余計なものが写らないように消していく
と聞いたことがあります。
舞台上、何もないところ、身体ひとつで表現していくとは、絵のような感じですね。
足していく。
けれど、同時に、キャンバスは白くする。消していく作業が必要。写真のようなところがあるんです。
余計なものが人の目・意識に映らないように。
で、この白くする必要があるキャンバス、実は二つあります。
ひとつは実際の舞台。
何もない舞台といいましても、床や壁という現実的な物質がありますよね。
こういった素の舞台が、見ている人の意識に上ってしまうようでは困ります。
演者の力で、雪山にも大海原にも見えるようにしたいわけです。
そういう意味で、まずは舞台を白いキャンバスのようにしたい。
それだけの演者の力が求められる。ということですね。
もうひとつは、演者の身体、動き。
演者の身体、動きですけれど、演者である前に、素の自分の身体,動きが、その土台にありますでしょ?
つまり、みんな誰でも自分の色を持っているわけです。
それは、言い換えますと、白くない身体なわけです。
これが何を意味するか?と言いますと、舞台上で意図しない表現が現れてしまうということなんです。
舞台上の人物としては、寂しさを携えている必要があるにも関わらず、その人の普段の素の身体や動き方の影響で、気分がすぐれない具合が悪いという表現に見えてしまうかもしれないということ。
演者側としては困りますよね?
特に、言葉を全く使わず、しかも踊りではなく、具体的な演技が必要なアートマイムでは、この意図しない表現が現れてしまいますと、見ている人は大混乱をしてしまいます。
え?何? 今、楽しそうにしたの?それとも作り笑いをしたの??
え?何? 今、登場人物が疲れたの?それとも本当に本人が疲れたの?
みたいな感じですね。
写真で言いますと、写真の中のこの余計そうなものは何?それとも意図して写し込んだものなの??
見ている人も、困ってしまいますでしょ?
身体で演技するとは、このような個人的な素の身体,動きがキャンバスになるということでして、そのキャンバスは白くする必要があるんです。
絵は足し算で、何もないところに足していくわけですけど、足し方を間違うのと、白いキャンバスを用意できなかったのとは、全く意味が異なりますでしょ?
身体で演技するアートマイムでは、白い身体を用意する必要があるわけですけど、それは今現状の個人的なものから引いていく作業が必要になるんです。絵のキャンバスのように、どこかから持ってくるわけにはいかないんですよね。
これは、アートマイムに限らず、能や歌舞伎、日本舞踊、バレエなど、多くの分野で必要とされるもの。
今どきの、個性を発揮しましょうという世界ではないわけです。
伝統的な芸能での個性の発揮は、身体というキャンバスを白くする、個性を消す、その先にあるものということですね。(そもそも個性は発揮するものではなく、発揮されてしまうものです。)
この白いキャンバスになった身体で、必要な動きをしていくことで、純粋な色で描くことができる。
(無自覚の)キャンバスの色が混じった濁った色にならないで済むわけですね。
と、白いキャンバスに絵を描く必要があるわけですけれど、絵を描きたいのですから、白くする作業には興味を持ちづらいですよね?
この辺りのことは、想像以上に厄介だと思うんですけど、絵を描く楽しさは大事。ほんとうに大事。
大事にしながら、大事だからこそ、キャンバスを白くすることも同じくらい大事にできたらいいなと思うんです。
ちなみに、身体を白くするといいますのは、機能性の高い、無理のない身体にするということ。
エネルギーの通りの純度を上げるということ。
引き算と足し算、両方を楽しめたらいいなと思います。
アートマイム新作2本。
次回公演は12月13日(金) 大型企画です!!