よく、
「見て盗め」
ということを言いますけれど、そう簡単にはいきませんよねえ。。。
見て盗まないといけないもの、といいますのは、表面的なところではなく、本質的なところですから。
私はクラスで出来る限り、見て盗めとは言いません。それよりも、
「見たままを、やろうとしないように。」
と言います。
特に「JIDAIクラス」では、マイム特有の動きということではなく、純粋に、身体の使い方の質を向上させるため、一般的に私たちが馴れ親しんできた使い方とは、かなり違う使い方を練習していきます。
スポーツの世界では、「ナンバ(常歩)」や「2軸」などが言われていますけど、これらはもちろんのこと、それ以外にもいろいろです。
こういった練習において、何が一番重要かと言いますと、理解と、意識の大幅な変換だと思っています。
見て真似できるものではありません。
何十年と当り前のように使ってきた、自分のこれまでの身体、その使い方の常識は、そうそう変えられるものではありませんし、
さらに、その自分の身体の使い方が、見方を決めてしまいますから、人の動きを見ましても、自分の動き方の延長でしか、捉えられません。
いわゆる人間関係と同じですね。他人を見ているようで、自分を見ている。
まあ、それは置いておくにしまして、まずは、今までとは違う見方・動き方を、頭で分かることが必要。
私たちはみんな、身体の奥底では共通の認識を持っていると思うんです。
同じ人間ですし、例えば先ほどの「ナンバ(常歩)」や「2軸」にしましても、小さな子供はだれもが、その動きなんですから。
大人になるにしたがって、良くない動き方を、上塗りしていってしまうんです。
ですから、全く新しい身体の使い方を学ぶというよりは、むしろ、思い出していく、と言えるかもしれませんね。
これも、精神世界系でよく言われることと同じですね。
本当の自分を思い出す。
また、脱線してしまいました・・・
元々誰もが持っている、身体のあり方。
自分の身体の潜在意識みたいなところを、探って思い出すような行為。
これは知識のような形で、分かった気になったところで、何の意味もありませんし、面白くありませんよね。
少しでも、身体で分かることが大切ですし、身体で分かってきますと、身体が
「これだぁ~っ!」
って。
「気持ちい~ぃっ!」
って。
自分の今までの身体からでは見えてこないところを、頭で補って、実際に身体を動かしながら、探っていく。
まさに、自分の身体との対話という感じです。
見て盗めるに越したことはありませんけど、まずは、自分の身体との対話ではないでしょうかねえ?
そのためにも「見たままをやらない」ことは、ひとつ重要なことの気がします。