よく、「本当の悲しみを知らなければ、本当の喜びは分らない」みたいなことを言いますけど、本当なんでしょうか?
うぅ~ん・・・きっと本当なんでしょう。。。
けれど、そうしますと、やはり考えてしまうんですよね。
いわゆる世間的にプラスとされる、感情なり状態なりを感じるには、マイナスのものを知らなくてはならない、ということになりますでしょ?
傷ついたことがあるから、人に優しくできるのだとしますと、傷つくことが必要ということ。
平和を平和と感じるには、もめ事・紛争・戦争などによる、命の危険を感じることが必要ということ。
愛という光を感じるには、孤独や憎しみといった暗い苦しい闇を、経験することが必要ということ。
生命を感じるには、死を感じる必要があるということ。
なんだか、変な感じですね。
傷つけてくれる人が必要で、戦争をしてくれる人が必要で、憎しむべき人が必要で、死んでくれる人が必要で・・・って。
まあ、確かに、身近に死を感じる機会が無くなってきたことで、自分の命、他人の命を粗末に扱う人が増えた、とも言いますものね。
で、たとえば、人を傷つけないようにしよう、と思いましても、傷ついた経験がありませんと、人が何によって傷つくのか、見当がつかないでしょうし、人を助けようと思いましても、自分が困った、助かったという思いをしたことがありませんと、何をしたら、人が助かるのか、やはり分からない。
いや、そもそも、傷ついた経験がなければ、人を傷つけないように、なんて思うはずもなく、困った経験のない人が、人には困ることがあるんだなんて、簡単には想像できないでしょうし。
やはり、マイナスを感じる力がありませんと、プラスを感じる力は養えないようですね。
マイナスは経験したくないけれど、プラスだけはたくさん経験したいというのは、ちょっと無理そうです。
逆に言いますと、大きなマイナスがやってきた時、それは大きなプラスを得られるビッグチャ~~ンス!ってことですね。
(まあ、本当にプラスを得られるかどうかは、分かりませんけど・・・チャンスだけはある。。。)
プラスとマイナス、どちらが先か?
そう・・・マイナス。
あらっ?
ってことはですよ、人生、結局マイナスではありません?
このプラスマイナスから脱却することを、解脱と言うんでしょうか?脱却した先を涅槃と言うのかしら?
「マイナスも無いけれど、プラスも無い」のと「プラスはあるけれど、マイナスを受け入れる」のと、あぁ。。。どちらがいいんでしょ~~ぉ???