自然な笑顔・・・素敵ですよね。
けれど、この「自然」って、何でしょうね?
笑顔に「自然」があるのでしたら、泣き顔にも「自然」があってもいいと思いません?
怒った顔にも「自然」、悲しい顔にも「自然」。
自然、自然・・・自然。。。
意識しないのが自然なんでしょうか?
作った笑顔でなく、何にも意識しない笑顔が自然?
泣き顔も他人を意識しないで泣くと自然?
けれど、たとえば怒った顔、本人は本当に怒っているのに、怒っているようには見えないってありますよね?
その怒っているようには見えない顔は、怒った顔として自然なんでしょうか?
悲しそうには到底見えない顔は、悲しい顔として自然なんでしょうか?
なんだか引っ掛かりますよね?
少なくとも、舞台などで演じる場合は、見ている人に伝わりませんと・・・だと思うんです。
怒っている時には、怒っていると。
泣いている時には、泣いていると。
楽しい時には、楽しいと。
「自然」といいますのは、表現している人にとって自然(故意ではない)の状態でいることではなく、見る人・受け手にとって「自然」に感じられること・・・そう思いませんか?
ですから、演じ手は自身にとっては不自然なことになろうとも、その「自然」を身に付ける必要があると思うんです。
で、特にパントマイムの場合、身体表現というからには、顔の表情だけでなく、身体全体でその「自然」を表現することが、求められるのではないのかな?と考えるんですよね。
(ほんとはパントマイムに限らず、人前に全身をさらす人は誰でも、だとは思うんですけどね。)
そこで、問題になるのが、
笑顔に相当する身体の表情ってどんな感じ?
悲しみをたたえた身体ってどんなふう?
怒っている時の身体って?
と、これらの問題をクリアしようとしますと、つい陥りがちなのが、オーバーアクション・・・そう、わざとらしいポーズや形。
でも、それでは見ている人には「自然」ではなくなってしまいますよね。
ところで、顔の表情も他人から見ての「自然」にするには、かなり繊細な訓練が必要だと思いますよね?意外に難しいものです。
それを身体全体でやろうというのですから・・・
ポーリッシュマイム(私のところクラスでは、特にアクトクラスで)はそこのところの訓練を、非常に重視していまして、ですからきちんと身に付いてきますと、顔の表情からだけではなく、身体全体から感情が見えてくるようになるんです。
身体が無表情にならないように、常に意識することで、見ている人にとっての「自然」を作り出していくということなんですね。
「自然」って不自然を通らないと、「自然」には至らないんですけど、「自然」に近づいてくると嬉しいものなんです。
ポーリッシュマイムは「自然」を目指す道具なんですよね。