オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

ダンスでマイム。マイムでマイム。

今日、私の大事なマイム仲間と話をしていましたら、彼女曰く

「ダンスでも何でも、この人凄いな、表現力があるなって思える人って、みんなマイムなんですよね。」と。

私も全く同感でして、使っている技術はダンスのものでありましても、技術を見せようとするのではなく、内面を大事にしている人の動きといいますのは、やはり私にもマイムに見えるんです。

ダンスという技術でマイムをしている。

ダンスにマイムを取り入れているなんていう、そんなものではありませんよ。あくまでダンスですから、普通には、「表現力のある」ということになるものですよ。

ポーリッシュマイムといいますのは、まさにこの類いのマイムをするものでありまして、演技ではない演技を重視しているんです。ですから、

マイムという技術でマイムをする。

ということになるんです。決して、

パントマイムイリュージョンテクニックという技術と共に演技するわけではないんです。

「ん???」でしょうか?

パントマイムイリュージョンテクニックといいますのは、いわゆる「えっ!」って思えるようなテクニックのこと。
カベ、ロープ、ロボット、くねくね・・・最近ではカバンの空中固定。

これらのテクニックを使いながら演技することに対しまして、ポーリッシュマイムでいう「マイムする」とは、先にも申しましたけれど、表現力のあるダンサーがダンス技術で全ての動きをコントロールしつつも、内面が技術を超えて表れてくるのと同じように、パントマイムイリュージョンテクニック以外も含め、あらゆる動きをコントロールしつつ、演技ではない演技をしていくことを言うんです。

たとえば、舞台に立ったその時から、身体全てがコントロールされていまして、指一本動かすのも、呼吸することも、まばたきすることすら、意識の上で行なっていくことになるんです。

「パントマイムイリュージョンテクニック+演技力」ではなく、

「マイム=演技力」

となるようなマイムが、ポーリッシュマイムなんです。

ちょっと一般的には想像しづらい姿だとは思うんですけど、マイムだとは分からないようにすることが大事ということなんですよね。

パントマイムが上手な人になるのではなく、表現力のある人になる、といったところでしょうか?

ただ、私たちポーリッシュマイムをしている者たちは、イリュージョンテクニックの身体使いと、演技の身体使いを分けては考えていませんから、上記のような言い方はほんとはおかしいんですけどね。

イリュージョンテクニックが一見上手でも、演技・表現になっていなければ、上手とはいいませんし、演技が上手でもイリュージョンテクニックに表現が感じられないものであるなら、マイムとして演技が上手とはいいづらい、となるんです。(ちょっと大袈裟な言い方ですけどね。)

とまぁ、そんなわけでして、ポーリッシュマイムは表現力抜きにはあり得ないマイムでして、その表現力というものは、マイムに限らず、ダンスでも芝居でも何にでも通じるものなんです。

もっと広げたいなぁ。。。