パントマイムの代表的なイリュージョンテクニックに「綱引き(ロープ)」がありますね。
みなさんも、よくご存じだと思います。
ごくごく基本的には、ロープを握ったつもりの手と手の間隔を、一定に保ったまま、水平線上を移動させればいいんです。
で、一度引っ張ったあと、今握っている箇所より、ロープの先の方に手を握りかえまして、また引っ張る。
この繰り返しです。
ところが、この動作、パントマイムをやり慣れてしまった人は感じなくなってしまいがちなんですけど、
ものすご~く!違和感を覚えるところがあるはずなんです。
どこに違和感を?
握りかえるとき。
引っ張っているときは、それなりに重さを作っていると思うんですよ。
ロープの先の重さ。あるいは、引っ張られている力。
けれど、どうでしょう?
握りかえのとき、その重さ、どうなりましたでしょうか?
そう・・大抵は、ほぼ間違いなく、重さが消えます。
握る、握る、引っ張る
握る、握る、引っ張る。
この動作で、引っ張るときだけは重さがあるんですけど、
握る、握るのときには、ただ、手を移し変えているだけになっているはずなんです。
つまり、片手だけでロープを持った形になったとき、重さがなくなっているというわけです。
ほっ、ほっ、う~~~ん。
ほっ、ほっ、う~~~ん。
この「ほっ」の中には「う~~~ん」が無い。
いち、に、さ~~~ん。
いち、に、さ~~~ん。
何故、「いち、に、」のときは、単に「いち、に、」なんでしょうか?
「いち」でも、「に」でも、重さのあるものを、引っ張っている感覚(引っ張られるのに耐える力)は
必要だと思いませんか?
私も長い間、この違和感と闘ってきまして、昔々、独学でやっている頃なんかは、
ただ、「いち、に、」を丁寧にやるくらいしか、出来ませんでした。
丁寧にやったからといって、重さが生じるわけでないんですけどね。
それ以外どうしようもなかったものですから・・・
この闘いはポーリッシュマイムと出会ってからも、ずっと続きまして、
と言いますのは、ポーリッシュマイムにヒントは隠されていたんですけど、
自分の身体といいますか、テクニックが追いついていませんでしたから、
その重さを体感出来なかったんですね。
体感出来ないものは、いくら見かけの動きや形、リズムを変えましても、
やはり違和感は残ったままだったんです。
で、いつの頃からか、ようやく体感し始めてくれまして、徐々にではありますけど、
それが動きにも表せるようになってきました。
もちろん、まだまだ甘いんですけど・・・ふぅ~~~ぅ。。。
まぁ、それはそれとしまして・・・
パントマイムの「綱引き(ロープ)」、
もし未だに、私がポーリッシュマイムに出会う前の形でやっていましたら、
この間の『牛』という作品での、牛を引っ張る飼育員の姿が、なんとも様(さま)にならない、
それこそ作品全体に違和感を与えてしまうことになっていたと思うんです。
ですから、パントマイムをやられているあなたには、忘れかけているかもしれない、この違和感を大事にしてもらえればと思うんです。