オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

イメージ?反応?

単なるテクニックとしてのパントマイムではなく、表現としてのパントマイムをしようとしますと、どうも内面を重視し過ぎるきらいがあるように、感じるんです。

これは人から聞いたり、本などで読んだりしたことですけど、「カベ」というマイムのポピュラーなテクニック、これをするのに、イメージさせようとしたりするらしいんですね。

どんな質感か、どんな色か・・・これ、正直、私にはピンときませんのです。

イメージすると見えるのかしら???

私にはそんなイメージ力は、残念ながら持ち合わせていませんで、けれど、イメージで見てる画像は、目の前の空間ではなく、頭の中にあるのではないかしら?と思うんですけど、どうなんでしょうね。

本当に目の前に見えてしまったら、それは何か別の能力???

いつも言っていることではあるんですが、私はあくまで、反応だと思うんですね。

たとえば「カベ」に触れた時、どんな反応を身体がするか?

何かイメージしながら、「カベ」に触れて、その身体を待つのではなく、反応を自ら作り出す。そして、その作り出した反応が、適格かどうかを理性で判断する。

ちょっと分かりづらいかもしれませんけど、頭(脳)に主導権を握らせる、イメージ先行型ではなく、頭(脳)は身体に起きた出来事を判断する、後追い型とでも言いましょうか?

反応と言いますのは、自分の身体の動きです。それは目に見える動きも含みますけど、一番大事なのは、目には見えない、内部の動き。

(目に見える動きと言いますのは、あくまでその内部の動きが、外に現れたものです。)

どれだけ違ったタイプのものをイメージしようとも、身体内部の動きに違いがないものは、他人には同じに見えます。

たとえば、「私は柔らかいものに触れているんだ!」と、いくら思っていましても、固いものを触れているときと、身体の反応(内部の動き=目に見える動き)が同じであれば、同じ固さにしか見えませんでしょ?

もっと、ぐ~んと分かりやすく申しますと、身体遣いの固い人は、柔らかいものを表現できません。
本人がその気になっているのは、伝わるかもしれませんけど、固い身体では柔らかさを感じさせることは、残念ながら出来ないのです。

と、かなり厳しい言い方になってしまいましたけれど、これは事実です。仕方ありません。

私自身がそうでしたから、よく分かるんです。
やはり、以前は固かったですから、今のようには、柔らかいものを表現しきれませんでした。

(もちろん、当時はよく分かっていませんで、今振り返ってみると、ということです。)

内面を重視すること、イメージさせることが、いけないわけではありませんけど、いかに出力するか?とセットで考えませんと、観念だけの世界になってしまう恐れがあります。

イメージを自ら作ってしまうのではなく、身体の内部の感覚に耳を傾け、自分の身体を心の目で見るようにしてみてはいかがでしょうか?

観念は動きにブレーキをかけてしまいますからね。