オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

だれでも出来るパントマイムだからこそ

パントマイムはだれでも出来る・・・というお話を前回しました。

「カベ」とか「かばんの固定」ができれば、あとはちょっと面白ければ、パントマイムの上手な人になってしまいかねない。
クルクルたくさん回れたからといって、バレエが上手な人とはならないのに。。。
見得を切れるからといって、歌舞伎が出来るとはいわないのに。。。



パントマイムの神といわれるマルセル・マルソーは、
日本の「能」「歌舞伎」を参考にマイムのスタイルを作り上げたと聞きます。
ですから、とっても形が見えてきます。
様式美的な感じです。


これは習いやすいと思います。
簡単という意味ではなく、指針・目標が目に見えますから。
バレエも習いやすいですよね。
私がずっと続けている日本舞踊も、同じように習いやすいと思います。



これに対しまして、「ポーリッシュマイム」あるいは「オーガニックマイム」は、
そういった形を用いませんので、大変かな?とは思います。



伝統的な価値を世間が認めているものは、
例えばバレエや日本舞踊などは、習い事として成立しますけれど、
それは、世間が知っている「高級な」形に近づいていく過程だと、だれもが分るからですよね。


形が完成に近づいていなくとも、形の面影があれば、まずはいいわけです。



ところがパントマイムといいますのは、そういった類いのものではありませんね。
確かに、一般的なパントマイムのイメージとしての独特な動きはあるでしょうけれど、
形といえるほどのものか?と言いますと、怪しいですよね。


少なくとも、決して「高級な」形ではありませんね。



「オーガニックマイム」ではそんな「形」が身に付かないようにしたいなと思っているんです。
もちろん、その「形」をすること自体はいいですし、出来るに越したことはないと思います。
いえ、必要な時には出来るようであってほしいとは思います。


ただ、その「形」でないとパントマイムにならない、ということを避けたいんです。


で、避けながらも、やはり様式を感じさせるだけの美しさは求めたい。



バレエや日本舞踊のような様式的な美でなく、何を目指すか?


JIDAIの考えでは、武術家の姿。


何でも無いようでいて、全身さらには周囲へ、気が巡らされている。
何かことさらに様式的なものを持つのではなく、されど様式は活かす。


と、まぁまだまだ、ほど遠いんですけど、こう考えています。




このところのレッスンで分ったんですけど、
「カベ」や「固定点」は、2~3分で出来るようになるんです。
2~3分が大袈裟だとすれば、5分あれば大抵の人は、出来るようになってしまいます。
それも、人に見せるのに十分すぎるくらいの出来映えで。


だからこそ、「姿」に目を向けて練習していかなければ、と思うんです。


武術家の姿でなくてもいいんです、一分のスキも無い野生の生き物もいいなと思います。
チーターも、インパラもいいですねぇ。


さっ! がんばろ。



マイムから心と身体の平和を。