舞台の上に立ち、そこでの「歩く」という行為は、とんでもなく難しい行為なんです。
もし舞台に立つことがあるのに、歩くことに対しまして考えたことがない、あるいは簡単だと思っているとしますと、
それは正直とても大きな問題だと思いますよ。
誰でも日常で歩いていますから、身体運動としましては、特別なことではありませんけれど、
特別なことではないがために、かえって難しいんです。
決して、きれいに歩くとかそういったことではありませんで、ひと言でいいますと、
何を表そうとしているのか?
ということになるんです。
で、その何を表すかという中にも、
歩きを見せるのか?歩きを見せない(隠す)のか?
ということが、まずは大事になってきます。
さらに、どんな役柄か?どんな気分か?
といったことも表現されている必要があるんですね。
あなたが普段歩いているのと同じようでは、いけないということ。
明確な意図を持って、その場面に応じた歩きを作らなければ、いけないということ。
それは、何故そうやって歩いたのかを、人に説明できるということですね。
しかも、その意図通りに歩けていたか、つまり身体コントロールが出来ていたかどうかが、重要!
意図がどんなに良くとも、その意図とは別のものが伝わってしまうのは、とても残念ですものね。
この難しい歩きを本能的に避けようとしているのか、それとも、単にテクニックを使うことでパントマイムをやっているという安心感を得ようとするのか、
パントマイムの人はすぐに、マイムウォークをしますけれど、
まず、本当にそこにマイムウォークが必要かどうかを考えないといけませんし、必要である場合には、どんな雰囲気でマイムウォークをするのかを考えた方がいいと思うんですよ。
多くのマイムウォークが、ただのマイムウォークのテクニックにしか見えないのは、
やはり演者の意識が表現に向かっていないことのあらわれではないかと。
まぁ、マイムウォークは置いておくとしまして、歩くという行為は、無意識で出来てしまいますから、
いわゆる演技や振付けのような、非日常的な動きよりも、簡単なような気がしてしまいますけれど、
ある意味では非日常的な動きの方が簡単なんです。
日常的な動きは、誰もが共通の肉体感覚を持っていますから、ごまかしがきかない。
非日常的な動きは見ている人には、違和感を覚えるということが起きづらいのですけど、
日常的な動きは、違和感を覚えやすいんです。
(違和感を意識出来るかどうかは、また別なんですけど・・・)
一見地味な「歩く」ということを、大事にしてみますと、全体を見る目も変わってくると思うんですよ。
きっと作品の質が上がると思います。
私も「歩く」ことは、いつでも課題です。
一緒に歩ければと思います。
がんばりましょう!