オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

身体の音

音が無いところに音を聞く・・・

ホラーではありませんよ。


コミュニケーションといいますのは、その人の身体の中の音が重要なのではないかなぁ、と思うんです。

身体の中の音といいますのは、例えば、同じ「驚く」という行為も、
「わーおっ!」「おっ!」「おーぉ」と、この似たような3つでも、随分と違いますでしょ。

しかもこれはその言葉を口に出さずとも、明らかに違いは現れてきますね。
他人が見ても分かるはずですよね。

身体を通して行う行為には、必ずこの音がつきまとうと思うんです。
(身体を通さない行為があるのかどうかは、別として・・・)
絵でも、音楽でも、ダンスでも、お茶でも何でも。
それこそ、テーブルにコップを置くだけでも、洗濯物を干すのでも、な~んでもです。

もちろん、自分が出している音を全ては認識していないでしょうけれど、受け手は全て受けていると思うんですよ。
まぁ、受ける方もよくは分かっていないと思います
けどね。

よく言われます、「生理的に受け付けない」相手といいますのは、その人にとって受け入れ難い音を出しているということなのかなぁ、と。

で、表現に限って言いますと、表現力があるといいますのは、自分の出す音が

どれだけ繊細か?
どれだけ密度か高いか?
どれだけ幅が広いか?

だと思うんです。

あるピアニストがまだ子供の頃、うまく弾けなかったところを、先生に「歌うように弾いてごらんなさい」と言われたのがきっかけで、見違えるようになったという話を聞いたことがあります。

上手にやろうとしている時って、身体の中の音が固まってしまうんですよね。
理屈が先にたってしまいますからね。
理屈に音はありませんもの。

身体の中で歌うことによって、音が動き出す・・・つまりピアノの鍵盤を叩く前に、すでに音楽が奏でられているかどうかだと思うんです。

音楽の無い身体から、音楽が生まれるはずもありません。

マイムも同じですよね。
身体の中にどれだけ豊かな音を持てるか?

ただし、気を付けませんと、自分の音というものをずっと、くっつけたままということがあるんですよね。

何をやっても「その人」という音が付いてまわり、それは絵のキャンバスが白くなく、最初から色付きといった感じですね。

これはよく言えば、個性が光るでしょうし、悪く言いますとが抜けない。

私自身は出来る限り純粋な音を出したいと思っていまして、身体は身体で調律のきちんとされたピアノとして、私の心は演奏者としてそのピアノを弾きこなすことで、豊かな音を奏でる。

出来ている出来ていないは別ですけど・・・

まぁ、いずれにしましても、身体・動きは音を発し、受け手はその音を感じ取っている。

さて、あなたはどんな音を発し、どんな音を心地よいと感じますか?