前回、JIDAIマイムクラスでの身体の使い方・動き方の指導は、
ほぼ実感力をつけるためということを言いましたけれど、ちょっと誤解があるかもしれもしれません。
実感力をつけるというのとはちょっと違いまして、実感に導いていくんです。
テクニックに関しましても、感情にしましても、身体の使い方や呼吸の使い方を、
以前紹介させていただいたJIDAIマイムのキーワードのようなことをしながら、
クラス生が実感できるようにというものなんですね。
私がよく言っております、「形は結果だ」ということは、このことでありまして、
形をむやみに外から直すということをしない、ということにもつながっているんです。
JIDAIマイムでは実感がとっても大事なのでありまして、形が大事なわけではないのです。
(実感するために形が必要ということはありますよ。)
ただ、一般的に習う側としましては、形ではなく実感となりますと、戸惑いを覚えるとは思うんですよね。
マイムに限らず何かを習うということは、イコール教えられたもの(形)を憶えるものだ、と思っている場合がほとんどですから。
けれど、それは憶えたのであって、身に付いたわけではありませんでしょ?
私は憶えるということに、ほとんど価値を見出せないんですよね。憶えたことは必ず忘れる運命にありますでしょ。
それにですね、前回も触れましたけれど、憶えるということは正解が自分以外のところにあるわけですから、自分のしていることに自信の持ちようがないと思いません?
指導者を妄信できるのでしたら、それはそれで自分に自信が持てていると言えるのかもしれませんけど・・・
まぁ、妄信はよしたほうがいいですね。
指導者の言うことは絶対だという姿勢でありながらも、やはり疑わなくてはいけないと思うんですよ。
私JIDAIのこともそうですね。鵜のみにしてはいけません。疑って下さい。
あなたが正しく、私が本当に間違っているかもしれませんし、あるいはあなたの勘違いや理解不足ということもあるでしょう。
いずれにしましても、信じようとするのではなく、納得しようとして下さいね。
ちょっと話がそれてしまいましたね。
実感か?形か?ですけれど、一般的には実感に導くすべがないでありますとか、そもそも指導者自身が実感していない場合もあり得るでしょう。もしそうだとしますと、形を教えるしかなくなってしまうわけです。
あるいは、はじめから実感ということを問題にしておらず、形で成り立つという考えもあるでしょうから、それはそれでスタイルの選択ですね。
さて、「押す」「引く」「持つ」といったイリュージョンテクニックを実感することと、感情面での実感は、
共通するところはあるんですけれど、やはりかなり異なります。
マイムを身に付けたいと思う人は、基本的にイリュージョンテクニックを身に付けたいということでしょうから、どうしても感情面は疎かになってしまうんですよね。
まぁ、マイムの演技に実感はいらないと思っていることもあるんでしょうけど・・・
お芝居派の人には驚きの感情実感であり、演技術なんですけどね。
この辺りのお話は、またあらためて・・・ですね。
いずれにしましても、実感を深めていく稽古は楽しい!
この続きはまた!