オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

「気持ちを込める」のではなく「気持ちがこもる」とは?

ここのところ、何度もツイートしている、


「気持ちを込める」のではなく「気持ちがこもる」


ようにしましょう
というお話を取り上げたいと思います。



これは、芝居、踊り、歌、楽器…何にでも通じることなんですけど、
気持ちを込めようとするから力んでしまい、
気持ちがこもっているかどうかに意識が向きますと、
力みから解放されやすくなるんですね。


とはいいましても、気持ちを「込める」とか「こもっている」とか、


抽象的で分かりづらいですよね?



けれど、分かりづらいと思えた方がいいと思うんです。
こういった、抽象的な言い回しを分かった気になるというのは、
危険だと思っていまして、
それは、

そういう言葉に酔っているだけかもしれない

からなんです。



頭の中だけでの出来事としてではなく、
自分の身体で具体的に味わえてこそ、
意味を持つものだと思うんです。



ですから、私は出来るだけ人を酔わせるような言葉は使わないようにしていまして、
少し前にお話しました「気」もそうです。
イメージの世界に逃げてしまわないように。



さて、私の表現の指導は、
マイムのイリュージョンテクニック(カベ、ロープなど)も情景表現も内面表現も、
全て同じ原理に基づいていまして、
それは、
あくまで身体の実感的なエネルギーを扱うことにあります。



ですから、カベ、ロープなどのテクニックが本当に上手くなるには、

情景表現や内面表現が上手くならなければ難しいですし、

情景表現や内面表現が上手くなってきますと、
カベ、ロープなどのテクニックも上手くなってくるんです。

(ちなみに、カベ、ロープをどういう場面設定でどんな気持ちで行なうか?
といったことではなく、
ただただ純粋なテクニックとしてですよ。)




というわけで、今回のテーマである、
気持ちを「込める」とか「こもっている」という抽象的な問題を、

身体で分かるようにしたい

と思いますね。





「押す」という力をどう発揮させるか?で、みていきましょう。



クラスでよくみんなにやってもらうものに、「壁押し」があります。
マイムの「見えないカベ」ではなく、本当の壁を押すんです。



1つは、普通に自分なりに一生懸命押す。

もう1つは、私の言うエネルギーを通す身体で押す。



この両者を比較して、どちらの方が押せている感じがするかを尋ねるんですけど、
大抵は自分なりに一生懸命押している方が、押せているように感じるんですね。


もちろん、後者のエネルギーを通す身体を作ることが、
簡単ではないからということもあるかもしれませんけど、
丁寧に進めていけば、まぁ誰でも出来ます。
それでも、
押す力にピンと来ない人は多いんですね。



で、別の尋ね方をしてみるんです。
2つのやり方で押している時に、


それぞれ自分の身体のどのへんに力を感じますか?

と。




そうしますと、ほぼ間違いなく誰もが、

自分なりに押して、押せている感じがする方は、腕、肩の辺りに感じ、

押せている感が弱い後者のほうでは、その辺りの力が抜けていて、
腰、お腹といったみぞおちより下に力を感じていることが、分かるんです。



これはつまり、


力んでいる方が押せている感じがしてしまう

ということなんです。




そこで、さらに実験を進めまして、壁ではなく、
実際に押し合いっこ(受け手は押されるのに耐えるだけ)をしてもらいますと、
みんなから「お~~~っ!」と歓声が上がることになるんです。



そうなんです。
押せている感が弱い方が、圧倒的に強いパワーで押せるんです。
これは、受け手のほうが、より実感出来ます。
押している方は「え~、、どうして??」と、狐につままれたようになることも(笑)



ここで分かりますことは、
普通の感覚では、

力むことと力が出ることを混同してしまっている

ということ。



もちろん、その方法でしか押し方を知らないわけですから、当然と言えば当然なんですけど、
壁を押しているだけでは、


本当に力を出せるやり方では、心もとない感じを覚えてしまう。


実際に押し合いっこをして、それも受け手の人の反応で、
ようやく力が出ていることを認めることが出来る。




・・・そう、自分ではピンときづらいんです。

押せている感じがする方が、むしろ押す力が弱く、

心もとない方が、押す力が強い。。。



もちろん、経験を重ねていきますと、勘違いの感覚が塗り替えられますから、
正しい方向で稽古を積んでいけるんですよ。




さて、お話を今回のテーマに戻しまして、気持ちを「込める」「こもっている」。



気持ちを込めるというのは、ほとんどの人にとって、この力を出すのと同じなんです。


気持ちを込めている感じを感じたい。

感じている方が気持ちが伝わると考えている。


そして、気持ちとはいいましても、結局は身体に変化を起こすしかありません。
大抵は、顔か腕、肩の辺りに力をいれてしまう。
これも、本当の力を出す時と同じですね。
ですから、気持ちを込めれば込めるほど、力みにつながる。



一方、気持ちがこもっているかどうかに意識を向けるといいますのは、
本人の力感よりも、

力が出る状態の身体になっているかどうかに意識を向ける

ということなんですね。



この身体の状態は、押す力の時と同じで、
一般的に力みやすい部分の力が抜けている感じで、
主に腰、お腹といった下の方に力感を覚えるはずです。
精度が上がれば上がるほど、身体全体が足裏から手先まで1つになっている状態になります。



こうすることで、気持ちがこもっている状態というものを、

決して気持ちを込めてる感に惑わされることなく、

身体全体で客観的に感じることが出来るわけです。




これは別の見方をしますと、

どんな気持ちでも、

どんなに繊細な一見弱い気持ちでも、

身体全体で表現出来る


ということにもなるんですね。




(気持ちを込める方法ですと、繊細な一見弱い気持ちを表現することが非常に難しい。
何しろ込めてる感を味わえませんので。。。)




気持ちを「込める」「こもっている」・・・


結局、誰のためにやっているのか?

になってくると思うんです。



「込める」は自分のためですね。


「こもっている」は伝えるためですね。



先日の「エゴの感情」にもつながってくるお話。




気持ちという抽象的なものを、抽象のまま扱うのではなく、
身体での実感という具体的なものとして扱うことで、見えてくるものがあればと思います。






Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




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