形あるものは、いつか壊れる。
形で作った姿勢は、いつか壊れる。
私はあまり形での指導はしないんですね。
それは身体の使い方クラスではもちろん、マイムでも。
マイムは形を作らせるようにしたほうが、
手っ取り早くマイムっぽい人になってもらえるんですけど、
それは私の考えるマイムではないので。
形で作った姿勢は、崩せない。
本質から生まれた姿勢は、崩しても形になる。
似たような形は、誰でもそこそこ作れるようになります。
けれど、何か違う。
そう感じるはずです。
それは、本人も、周りの人も。
その「何か」を、私は学んで欲しいと思いますし、私は分かりやすく伝えようとしています。
形で作った姿勢は、拘束。
本質から生まれた姿勢は、自由。
習った形はきれいにとれるけれど、ちょっと違った形になると、
途端に素人然となったのでは興ざめですよね?
本質を捕まえれば、何をどうしたってきれいな形になるんです。
だから、本質なんですね。
もし、きれいな形に興味がないという方がいらしたら、ちょっと待って下さい。
私の言うきれいとは、美しいという意味です。
美しいとは、強度があること。
物理的にも、意味的にも。
ですから、美しいものは大きい。
大きく見えるんですね。
本当に自分は立てているのか?
本当に自分は歩けているのか?
常にそこに立ち返るのは、重要だと思うんです。
そしてそれは同時に
どんな立ち方でも、立てるのか?
どんな歩き方でも、歩けるのか?
ということを含んでいるわけです。
形が美しいわけではない。
美しいから、形になる。
ひとりでも多くの人が「何か」を掴んでもらえたら、それが私の何よりの喜びです。
「何か」は、天才的な人が当たり前ににやっていることだったりします。
けれど、自覚していません。ですから、言葉にも出てきません。
そこを、私たちは自主的に理論的に埋める必要があるんです。
「何か」に分野は関係ありません。
今回はそんなお話でした。
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!