習ったことをそのまま繰り返すというのも、ひとつの大切な練習ですけれど、
そのことが出来るようになるための練習を自分で考え出すというのは、もっと大切な気がするんですよね。
特に、ただ形を覚えていくという練習でなければないほど、
つまり外側から修正出来るようなものではなく、本人の感覚に頼るところが多いものほど、
何を身に付けるためにその練習があるのか?
を考えることが大事なのではないかなぁ。
あるいはそれは、その習ったことから、何が学び取れるか?
を模索するということでもあるわけですよね。
教わっている時には、何のためにやるのかよく分からないような練習ほど、その意味は大きいのだと思うんです。
まぁ、そういった類いのものは、自分で出来ているのか?出来ていないのか?非常に不安になるとは思うんですけど、自分で探るという行為自体が既にとてもいい練習をしていることになります。
で、出来る出来ないとは別に、こういった自主練習は必ず大きな財産になりますよね。