オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

表現~大哺乳類展から

上野の国立科学博物館で開催中の
『大哺乳類展』
に行ってみました。



剥製の姿から身体表現の大事なことに気が付くことが出来ました。
そんな気は全くなかったんですけど、行ってみて良かったわぁ~。


さてさてぇ・・・
鹿系の剥製はいいですねぇ。あの静けさが何ともいえません。
鹿系、大好きですわ。

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けれど、座った感じのものは、ちょっと違和感が・・・


それと、肉食系、特にライオンなどの猫系のものは、正直、間抜けな感じで・・・
立ち上がった形にした熊の剥製も、どうも変な感じ・・・


どうしてかしら???
と考えてみましたところ、



動きが見えてこないからではないかと思ったんです。



迫力を出そうとして、吠えたような顔にしたからといって、ますます違和感が大きくなるだけでありまして、それはお芝居やダンスでの演技で、身体が表現をせずに顔ばかり演技しているのとダブってしみますね。



止まっているものに、動きを出すのは難しい。



草食動物は静かで構わないので、すっと立っていてもいい。むしろいい感じ。
多少、本当の立ち方と違っていても、おそらくそんなに気にならないのでしょう。


ところが、座っている鹿が変な感じなのは、きっと本当の鹿の動き(座っている時の姿勢)とは微妙に違うのでしょうね。ライオンなども生きている時の微妙な姿勢の違いを表せていないのでしょうね。


それは表面的なものではなく、骨格の位置関係(アライメント)の微妙な差であるのでしょう。
そのちょっとした差が、とても大きな違いになってしまうんですね。


骨格の位置関係は重心の位置に大きくかかわってきます。
しかもその重心は、単に全体の重心というだけでなく、各骨ごとの重心の集合体でありますから、1カ所どこかの骨の位置や向き、角度が変わっただけで、全体が影響を受けるはず。


以前にお話ししました、モビールのような感じですよね。
それぞれのパーツの重心が複雑にからみあいながら、全体としてひとつの重心ポイントをとっている。



生きているものと死んでいるものとの違いのひとつに、重心の位置を常に調整し続けているかどうか?ということがあると思うんです。


生きているものは、たとえその場でずっと位置を変えずにいるとき(寝ていても)ですら、ずっと重心の位置調整を行っています。


止まった姿といいますのは、その動きが表せていることで、生きている感じがするのだと思うんです。
その動きが表せていないものには、どこか不自然な感じを受けるのでしょう。



マイムはもちろん、あらゆる身体表現も同じだと思うんですよ。


止まっている時の姿に動きがあるかどうか?


動きといいますのは、動いているから動きがあるわけではなく、止まっている姿が連続したものが動きだと思うんです。アニメーションの原理と同じですね。
ひとコマ、ひとコマ単独で見た時に、動きが見えていてほしいわけです。


ですから止まっている時の姿に動きがない形、あるいは本当の動きとはずれた形がベースとなって動くのと、止まっていても動きが見える形をベースとして動くのとでは、全く伝わるものが違うと思うんですよ。


とはいいましても、生身の人間がそれを実現することはとても難しいものでして、その最大の理由は、多くの人が動きを手や足によって作ろうとするからなんです。
手や足が無くとも、動きを表現できるようになることが大事なんです。


JIDAIマイムでは動きの練習をしながらも、動こうとしてはいけないということをとても大事にしていますのは、そういうことなんです。
その結果が、いきいきとした動きになるというわけです。



動いているうちは、動けていない。


動かずにすむようになって、動けるようになる。



「身体が表現する」にもつながりますね。