オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

「型」と自由と・・・お茶、好きなように飲めるかしら?

お茶の大家(たいかです。おおやではありませんよ。)が、


「お茶はどのように飲めば良いのですか?」と問われ、


「好きなように飲めばいいんです。」と答えていました。




お茶に限らず、たとえば空手にも能にも「型」がありますでしょ?
けれど、この「型」を嫌う人は多いと思うんですね。


みんなが全く同じことを繰り返す・・・しかも実践的に使えるかどうかも分らないようなものまで。
今時分のやり方ではない感じですよね。


で、「型」を繰り返すのではなく、バリエーション豊かに練習していくという方法をとる。




さて、このふたつの練習方法は、一見正反対に見えますよね
けれど、このどちらもが同じものになるような意識で、練習に取り組んでみてはいかがでしょうか?



「型」の中にバリエーション(の源)を感じ取り、バリエーションの中に「型」を見つける。




一見ただ同じことの繰り返しにしかなりそうにない「型」の練習から、どれだけ多くの気付き、発見が出来るか?
不自由そうな中に、無限の自由さを感じ取るといったところですね。


一方、一見、自由で豊かなバリエーション練習の中から、あらゆることに共通する「型」とすべきものを掘り出そうとしてみる。
これはそうですねぇ、どんなに複雑なバリエーションであっても、
「なんだ、結局これにもどってきてしまうのかぁ。。。」
となる感じで、極端に言いますと、ある1つの練習しか出来ないとした際に、どんな練習をするのが最善なのか?
を考える作業かしらね。



「型」を型通りにしか練習していませんと、固い動きになるでしょうし、バリエーションもその豊かさとしてしか練習していませんと、なんだか巷によくある無国籍料理のようになってしまうような気がしませんか?



そうそう、バリエーションといいますのは「自由」という言葉に置き換えましても、同じですよね。



最初のお茶の大家、私たちが好きに自由に飲むのと、この大家が好きに飲むのとが、同じであるはずがありませんよね?


好きなように飲めるまでに、どれだけ「型」の中に自由を発見すればいいんでしょう?
ですよね。


「型」の練習をつまらないものにせぬよう、バリエーション豊かな練習でやった気になってしまわぬよう、気を付けようと思いますわ。