剣術系だったと思うんですけど、
『重い刀を軽く扱い、軽い刀を重く扱う』
ということを何かで読んだ覚えがあります。
これは最初の「重い刀を軽く扱う」というところだけを取り出しますと、まるで筋力をつけることが大事なような感じがしてしまいますし、後の「軽い刀を重く扱う」も(力んで)強そうにしたほうが良いとでも思ってしまいかねませんよね。
けれど、もちろんそんなことはありません。
重い刀、つまり長さがあって重さもそれなりにありますと、手元では相当な重たさを感じますよね。
しかもそれを振り回す(実際には振り回すという動きではいけないわけなんですけれど)となりますと、とんでもなく負荷がかかってきます。
この負荷に対抗するだけの力をつけようとすることは、前回お話ししました「やってる!」気にはなるでしょうし、身体つきは筋量が増えて良くはなるでしょう。
そして一見、重い刀を軽々と扱っているようにはなるかもしれません。
そう、まるで大リーガーがバットを爪楊枝のようにブルンブルン振り回すような感じですね。
でまぁ、確かにこれはこれで凄いですよね。
あの野球の清原がこっちの道に進んでしまった気持ち、分ります。
けれど、残念ながらそういうことではないんです。
刀でもバットでも物には重心がありますでしょ?
人間でしたら臍下丹田といわれるおヘソの下あたりですけれど、やじろべいのようにバランスの取れるところですね。
この重心の位置を活かし、物のほうを動かすというよりは、自分の身体を動かすという感じで扱うんです。
ただまぁ、野球のようにじっと止まって待っていて打つだけでしたら、自分は止まり、物を動かして、振り回すことでの遠心力を使うという手もあるんでしょうけれど(良くないとは思いますよ。)、刀のように二の太刀、三の太刀を要するものでは、遠心力に振り回されてしまうことは、許されません。
重さを感じていてはいけないのです。
重さを感じるということは、身体がその重さのある方へ引っ張られます。
ということは、重さを使えていないということにもなります。
重たい物を重たいまま扱っていますと、動きは止まってしまいます。
けれど、重たい刀を軽く扱えるような、このあたりの身体の使い方が分ってきますと、動きが軽やかになってきます。
筋力をつけることよりも、まず先に全身の感覚に目を向けてみることは、大事ではないでしょうか?