綺麗な動きをどういう方向性で目指すのか?
大切な大きな問題だと思います。
バレエのようなものですと、まず綺麗な動きありきですから、形や形の変化、流れは本当に綺麗だと思います。
先日のフィギュアスケートで浅田真央選手が新しいコーチの下で新プログラムを滑っていましたけれど、真央ちゃんの綺麗さは、いわゆるバレエ的な綺麗さですよね。
けれどやはり表現力に欠けてしまう。。。
真央ちゃんの場合は肋骨が固まってしまっているので、長い手足が箱からしゅっと伸びて動いているような印象になってしまっています。
ですから、顔は感情表現しようとしていますし、手は綺麗に動かしているんですけど、胸が全く表現のための動きをしていないんですね。
その点、吉田都さんはさすがです。
とまぁ、なんだか偉そうですけど、偉そうついでに言わせてもらいますと、その吉田都さんにしましても、奇麗な動きとリアルな感情表現の差を埋めるのに苦労していましたけれど、あれはバレエの宿命なんでしょうかね?
演目は『ロミオとジュリエット』だったんですけど、たとえば死んだロミオに駆け寄るといったシーン。
その動き出しで、いかにもバレエといった感じの、ちょっと後ろにあおられるような動きをするんです。
もちろん、そのこと自体が悪いわけではありませんけれど、どうしても奇麗な動きをしているとしか見えないんです。
バレエの世界ですから、それはそれでいいのかもしれません。
お芝居ではないわけですから。
オーガニックマイムでも同じ悩みはあります。
むしろもっと大きいかもしれません。
オーガニックマイムでもバレエのように、全ての動きをコントロールしていてくのですけど、より芝居色を強めなくてはいけないものですから、奇麗な動きをしたと感じさせないように、奇麗な動きをする必要があるんです。
つまり、オーガニックマイムでいう奇麗な動きといいますのは、感情なり何なりの表現において無駄を極限まで省き、かつ最大のエネルギーを持った動きをいうんです。
マイムでもいろいろありますし、まぁ好みといいましょうか、どこにこだわりを持つか?ということですね。
綺麗って、動きの難しさもさることながら、考え方の差は大きいですね。