オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

精神論、根性論ではなく、技術論を通して。

身体が語るとは、どういうことか?


身体による演技とは何か?


内面を重視するというのは、どういうことか?





私は身体の中の中、奥に”気持ち”があると思っています。



頭(脳)は身体の奥のことを読み取っているだけ。


”気持ち”は頭(脳)の中にあるわけではない。




古来、日本ではそれを”肚”(はら)という言葉で表していたと考えれば、
分かりやすいのではないでしょうか?


肚が大きい(度量が大きい)、肚がおさまらない(気が済まない)、肚が決まる(覚悟ができる)、肚がすわる(度胸がすわる)、肚に落ちる(納得する)・・・



そもそも「腸は第二の脳」ともいわれているわけですし。



この”肚”ですが、お腹と考えてしまいますと、
どうも表面的な目に見えるお腹に意識がいってしまいますけど、
丹田という言葉に置き換えるとどうでしょう?
なんだか、急にお腹の奥の分かったような分からないような、
そんな神妙な感じのところに意識がいくのではないでしょうか?



この身体の奥が動きの源になったとき、

その演技は内面から動いているように見える。


私はそう考えます。



どれだけ、本人が気持ちを込めて内面から動いているつもりでも、
この奥が弱ければ、浅い演技になってしまいます。




頭で”気持ち”を考えているうちは、

どうしてもこの身体の奥に辿り着けません。




よく、演技のダメ出しを何度も出されて、訳が分からなくなったときなどにOKが出るのは、
頭が働かなくなったからです。


野球の千本ノックみたいなもので、
使ってはいけない筋肉(演技では頭)を散々使わせることで、使えなくさせる。
すると余計な力(思考)が抜け、身体の奥からの力(本当の気持ち)が出てきて
良い動き(演技)になる。



これを、千本ノックを受けなくても、最初から実現できるようにしていくのが稽古だと思います。




私はその方法を伝えているのです。
身についていくものです。
ですから、技術と呼んでいます。



もちろん、私自身もまだまだ深めていかなくてはいけませんが、
それでも、私の伝えられるものは多いと思っています。



精神論、根性論ではなく、技術論を通して、

身体の奥が動きの源になるようにしていくのです。



ここで、「動き」と言った場合に、それは身体自体の動きもありますし、心の動きもあります。
どちらも同じことなんです。



身体の動きと心の動きを一致させようというのではありません。
それでは、元々別のものを1つのもののようにしようということで、決して1つにはなりません。



身体と心は同じものなんです。



だからこそ、身体の奥から動くことで、”気持ち”が身体を動かしているように見えてくるのです。



と同時に、本人は自分の”気持ち”を変化させると、自然と身体が変化するものですから、
これを身につければ、内面重視でいられるのです。



何度も言いますが、これは、決して抽象論ではありません。具体的な技術論です。


体感しないうちは、決して分かりません。


体感すれば、こんな次元があるのか!といった驚きを味わうでしょう。




内面重視の演技に価値を置き過ぎて、
内面から入ってしまいますと、身体が遠ざかってしまいやすい。


一方で身体重視で、内面に辿り着けない人が多いのも事実です。


ですから、私としましては、そこを見極めながら稽古をつけていくことが大切になります。





身体が語るとは、どういうことか?


それは、身体が心であるということであり、

心の動きが身体の奥から現れ、目に見える、感じられるものになっているということです。




身体による演技とは何か?


それは、心とは身体であるということであり、

身体の奥の動きが、スムーズに外に現れ、

心が目に見える、感じられるものになっているということです。




内面を重視するというのは、どういうことか?


それは、身体の奥が動きの源になっているということです。








Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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