2年くらい前でしょうか?
あるベテランともいえる女優さんが、自分の演技を見直したいと模索されている中で、
私のクラスを1度体験されたことがあるんですね。
その方は、リアリズムという演技スタイルといったらよいのでしょうか?
とにかく内面重視で、長年教えを受けてきたそうです。
役者さんというのは、演出家次第のところがありますから、
演技スタイルの良し悪しに絶対の基準はないんですよね。
その方も、おそらくそのスタイルで長いこと良い感じで活動されてきたのだと思うんです。
それでも、それにもかかわらず、違和感を覚えるようになった。
どこに違和感を覚えたのか?
身体が動かなくなってしまった。
舞台上で、どう動いていいのか、
分からなくなってしまった。
もちろん、単純な運動的なことではないですよ(笑)
内面を伴って動くことができない。
どうでしょう?違いがお分りいただけるといいのですが・・・
こういうことの違いって、分かったつもりになってしまいやすいのが、恐いところでして。。。
もちろん、書き手である私の文章力もあるんですけど(汗。。。)、
内面を伴って動くといいますのは、演技しながら動けるかどうかということではないんです。
演技しながら動くというのは、誰でもできます。
レベルに差があるだけ。
そのレベルが高いことと、
内面を伴って動けるかどうかは、
違うんです。
もし、そうであるならば、この女優さんは何も悩んだりしません。
単に、動けるようにと、踊りでもアクロバットでも、ヨガでも武術でもなんでも習えばいいわけです。
もちろん、パントマイムでも(笑)
けれど、こういったことは解決策にならないと分かっているから、悩むんです。
決して、解決しません!
私は、この悩みに達したということ自体が、まずとても素晴らしいことだと思います。
とはいえ、残念なことに、この方はクラスに通ってきてはいないんですよね。。。
お金や時間の問題もあるような感じでもありましたけれど、
2年前ですと、私自身、今ほど明確に指導できていなかったので、そのせいもあるかと。。。
ただひとつ言えますことは、私の指導では、イメージを優先させないようにさせるものですから、
演技への関心が強い人には、とても難しいのだと思います。
なぜ、イメージを優先させないか?
それは、イメージができてしまいますと、
本人の中で完結してしまい、
人にそのイメージを伝えることをしなくなってしまう、できなくなってしまうからなんです。
例えば、(実際には見えない)遠くに鳥が飛んでいるのを見るとしましょう。
イメージができてしまいますと、すでに本人は飛んでいる鳥が見えてしまっているわけですから、
そのままただ遠くのほうをじっと見ていても、何の問題も生じませんでしょ?
何しろ、本人にはありありと見えているんですから。
けれど、これが大問題なんですね。
これ、本人は見えている・・・
本人にしか見えていないんです。
他人からは、
「遠くのほうをじっと見ているその人の姿」
が見えるんです。
笑い話ではないですよ(笑)
重要なことは、自分がイメージすることではなく、他人にイメージを起こさせること。
そのためには、自分がイメージすることも大切かも、といった程度で考える必要があるんです。
といいますのは、
役者さん自身が意識していなかった、ちょっとした動きですら、
観客には何かをイメージさせてしまうんです。
それは、
役者さんの頭の中でのイメージとは無関係に、
ちょっとした動き(動かないことも)が、観客にイメージを引き起こさせるということ。
これは、遠くの鳥といった物質的なことだけでなく、悲しみ、怒りといった内面的なものでも同じ。
役者本人がいくら気分ばかり、
悲しい気持ちになったとしましても、
それは観客には関係ないんです。
その気持が、どう身体に(声も含めて)現れているかどうかなんです。
それは、一般的には「身体の動き(声の出し方)として」というよりも、
「身体の表情(声の表情)として」といった言葉のほうが、伝わるかもしれませんね。
舞台上で、どう動いていいのか、分からなくなってしまった女優さんの悩みは、
役者さんに限らず、舞台表現者の多くに、必要な悩みであるはずなんです。
悩みが生じないのであれば、それは観客を想定していないということ。
私は私なりの表現をしています、自由に解釈して下さいということ。
そういった表現を否定しているわけではありませんよ。
どういったスタンスで舞台に立つのか?というお話。
私たちのマイムは、内面も物質も全てを観客にイメージしてもらえるようにと、
自分の身体も呼吸も内面も、観客に捧げるんです。
私は私なりの表現(作品としてではなく、動きとして)をしています、自由に解釈して下さいというスタンスではないんです。
その捧げる術(すべ)を身につけることが、日々の稽古。
全ては、観客を世界に巻き込むため。
見せるのではなく、空間を変容させて、巻き込み続けるため。
演者は舞台上の私ではなく、観客自身が演者。
舞台に演者を見るのではなく、自分を見る。
ということで、あの女優さんが戻ってきてくれれば嬉しいですし、
そうならなくても何かを見つけてくれていたらと思います。
Body,Mind&Spirit
本当の自分の身体は天才だ!