オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

意識という色の海

自分は自分という、ひとりの人間のはずですけど、自分のことを他人のように、見つめている、もうひとりの自分がいたり、性格的にも、その時々の気持ちの有りようでも、とにかく、いろんな自分がいますでしょ?
自分は一体、どういう人間なんだろう?って。

ところで、人間は約60兆の細胞から出来ているって、聞きますし、原子の数となりますと、それはもう、途方も無い数ですよね。それらの集合意識が、私というひとりの人間の意識だとしますと、つまり、私の意識は決してある特定の「私」というひとつの意識ではなく、色々な意識の集まりなんだとしますと、なんだか納得できる気がしませんか?

それは、たとえば、60兆色もある色鉛筆で、印象派のような点描画を描いているようなもの、という感じでしょうか?

60兆色もありますと、同じ赤でも、ほとんど見分けがつかないくらいの、微妙な違いでしかないでしょうけど、それでもやはり、同じ赤ではなく、その微妙な違いのまま、ず~っと見ていくと、気が付かないうちに、オレンジ色になっていて、そのうち黄色になり黄緑になり・・・って。

それくらい微妙な違いでの、色の組み合わせを考えますと、同じ色はふたつとないのでは?というくらい、これこそ途方も無い数になりますよね。
無限大に広がる色の海、といったところでしょうか。

こうして作られた、様々な色が、それでもどこか青っぽかったり、赤っぽかったりと、なんとな~く、けれど、はっきりとした違いを、作り出し、さらに、波が高くなるように、ある色が、ぐぅ~っとせり出してくる。
その、せり出した色が、今現れている、表わされている自分。

自分というのは、決して一色ではないけれど、どの色がせり出しても、やはり自分の色。
刻々と変化する、色の海。
穏やかに漂っている時もあれば、激しく荒れている時もある。そう、落ち着いている時もあれば、目まぐるしく感情が揺れている時もある。

自分は、自分というよりも、「意識という色の海」なんだと思いますと、自分というものが、どこかへ消えて無くなりそうですね。
自分であるのに、自分でない。
隣の人も同じ、ただ色の海。あの人は、あの人であるのに、あの人でない。


み~んな、ただ色の海。
波の状態や、せり出す色が違うだけ。
そして、自分の色ですら、どんな色を持っているのか把握しきれない。あの人の色も、全部なんて、決して見ることはできない。

さらに、地球上の、あちこちの海が、決して分断されているわけではなく、全部つながっている、ひとつの海でありながら、それでも、あちこちで、違う表情を見せているように、意識という色の海も、自分とあの人と、分断された海ではなく、ひとつの海として、違う表情を見せているだけ。

私は、私でなく、あの人であり、けれど、あの人も、あの人でなく、私であり・・・一体、この世にいるのは誰なんでしょう???