オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

よい身体を!

今年は、初日の出の時間には、起きられず・・・けれど、まあ、2007年最後の日没はじっくり見ましたから・・・って、関係ないですね。

さて、去年最後のクラスは、呼吸のクラスだったんですけど、クラスからの自然な会話の流れで、みんなとの別れ際に

「身体を整えようっ!」

って、言葉がでました。

身体を整えるということは、多くの人が高い関心を持っていると思うんですけど、整体やマッサージなどの他人任せでは、どうしたって無理がありますし、もったいない。

腰や膝などに痛みがあるとしましたら、肩凝りでもですけど、それは身体の使い方の悪さを、教えてくれているわけですから、自分の身体を見つめる、いいチャンス。

それともうひとつ、体の傷みを、学生でなくなり、運動の機会が減った人は、筋力や体力の衰えではないかと、考えがちですけど、年をとれば誰でも筋力は衰えてきます。

それに対抗するかのように、トレーニングをするのも、やはり無理があります。もったいない。
やはりここでも、身体の使い方を見つめ、その質を上げていくことを考えた方が、効果的ですよね。

とは言いましても、身体の使い方を考えるということは、一般的には馴染みのない、意識の使い方をしていきますし、たとえ知識がありましても、出来なければ何の意味もありません。

ただ形を習うことは簡単ですけど、その形が生み出される、見えない力の出所、流れが出来ていませんと、結局、クセをもった元の身体の使い方に戻ってしまいます。
(戻ると言いますか、もともと出来ていない、ということなんですけど・・・)

私は出来るだけ簡単な意識で、いい身体の使い方が出来るようにと思っています。
そして、それは教える時にも、もちろん同じでして、ワークショップのときのお話でもしましたように、最初の一歩は伝えられていると思うんです。


ですが、10まで知っているうちの1と、1しか知らない中での1とでは、一見同じ1でありましても、全く意味・重みが異なるように、この最初の一歩は、私のものと伝えられた側とでは、同じようで、同じではないわけで・・・

身体を整えるということは、長い発見の旅でして、10を発見し、100を発見し、そして1を知る。

身体を整えるということは、他人との比較ではなく、外側の目に見えるところを整えるわけではなく、自分自身、内側の問題。

身体は多弁です。整っていませんと、必ず傷みなどで訴えてきます。
この訴えから耳を閉じることも可能ですし、自然に閉じてしまっている場合も多々あります。

けれど・・・もったいない・・・

身体を整えて、気持ちのよい年にしていきましょっ。