パントマイムでよく知られます
壁を押す
ロープを引く
ってありますけれど、
その重さはいろいろあるはずですよね?
すご~く重いものを、押したり引いたり、どうやって表すと思われますでしょうか?
「大変そうにする」
「つらそうにする」
「動きをゆっくりする」
「足を踏ん張る」
といったところでしょうか?
これらは、100%間違っているとも、100%合っているとも、言えませんで、それは、ひとつ重要なポイントを考えなくてはいけないんですね。
何が重要なポイントかと申しますと、
「肉体的に力を発揮するということは、どういうことか?」
ということなんです。
ほとんどの方がそうだと思うんですけど、私たちは、
「筋肉信仰」の下で暮らしていますでしょ?
老若男女、こぞって筋力ア~ップゥ!
もちろん筋肉は必要なんですけど、力を発揮する際に、この信仰と言いますか、思考は、大きな障害となってしまうと思うんです。
と言いますのは、
力の発揮=筋肉の収縮
となってしまい、これは、本人はその気になりますけれど、実は力が出ていないんですね。
パントマイムで押したり引いたりの動きを、この信仰の下で行ないますと、演者が大変そうにしていることの方に、目がいってしまい、物の重さには目がいかなくなってしまうんです。
(大変そうにしているから、重いということを表しているのだろう、とは分かるけれど、重くは見えない、ということです。)
では、どう考えればいいかと言いますと、
力の発揮=重さの移動
なんですね。
以前、お話に取り上げました、
重量=力=質量×(重力)加速度
が、ここでも言えるわけです。
まあ、ものすご~く単純に言いますと、同じ体重の2人が、一方は止まっていて、もう一方が歩いてきてぶつかったとしますと、止まっている方が弱いということですね。
これは、パントマイムに限らず、日常でも同じことでして、筋肉の収縮は頑張った気にさせてくれますけれど、頑張ってはいけないんです。
適格に動いた方がいいんです。きちんと力を発揮してくれます。
あぁ・・・肉体に限らず、社会生活やら精神活動やら何でも同じですね。結果を出したければ、頑張るのではなく、適格に動く・・・私には難し過ぎまするぅぅぅ。。。
「筋肉信仰」の下では、「頑張る信仰」が優位なのは仕方ないですね。
まっ、私の場合は頑張るわけでもなく、の~んびりしているだけなのでしょうけれど・・・あ~ぁぁ。。。
せめてパントマイムの時だけでも、重い物を頑張らないで、適格に移動させたと思いま~ぁす!