オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

演ずる身体

身体表現としてダンスやマイムがあるのならば、
フリとしての動きよりも、まず身体そのものに目を向けるべきではないかなぁ?と思うんです。

今どきのコンテンポラリーダンスは、踊りだけでなく、演技することがよくありますよね。
マイムではもちろん、いわゆるマイムテクニックを見せていない時は、やはり演技をしていますでしょ?

この演技を、あなたはどう見ていますか?

私は違和感を感じざるを得ないことが多いんです。

どこか無理に演技をしているような・・・
あるいは、気持ちが小さすぎて、小さな演技になってしまっているような・・・

それでもどうして人前で演技をするのか?


「誰でも演技は出来る」

と思っているからだと思うんです。
セリフを覚えなくてもいいという、なんだか楽なような気もしますし、まぁ、誰でも出来るのでしょう。

私が違和感を覚えますのは、その誰でも出来る演技の最中に、
「演者の身体が消えてしまう」ことにあるんです。

一見誰でも出来るが故に、演技時の身体に対する意識が希薄になってしまっていまして、
ダンサーは踊っていない時、マイマーはテクニックを使っていない時、
身体が使えてな~~~いっ!!!

身体表現であるという気持ちがあるならば、身体への意識を消さないようにした方がいいと思うんですよ。

気持ちを込めて演技をすることと、身体が使えることとはイコールではありません。

顔の表情に頼るのも違います。

例えば、ピアノの演奏でいくら気持ちを込めましても、それ相応の鍵盤の叩き方をしませんと、その気持ちは表せませんよね?

うっとりとした表情で演奏しましても、音楽家はうっとりした顔を見せることが重要なのではなく、音に表情をつくることが求められますでしょ?

同じことですね。
ダンサーもマイマーも身体という道具を適確に使いこなして、表現したい気持ちを表すことで初めて身体表現といえるのだと思うんです。

顔の表情も身体の一部。
普段の自分の表情の延長で考えるのではなく、道具として使いこなす必要があると考えてもいいんじゃありませんか?

多くの人が演技的身体というものを知らないでいますから、仕方のないことではありますけど、もったいないと思うんです。

せっかくの作品、こういったところで完成度を高めてより良い作品に仕上げられると思うんですよね。

今度のワークショップ『演劇的身体1日教室』では、この身体についていろいろと知って感じていただければと思っています。