自然の理に適った身体の使い方といいますのは、
基本的に身体を部分的に使うのではなく全体を1つとして使うことで、
私JIDAIのパントマイム(オーガニックマイム)ではこれを大事にしてはいるんですけれど、
身体表現の立場からしますと当然、部分的に使う動きは必要になってくるんですね。
身体表現の場合、身体の使い方が自然の理に適っているかどうかよりも、
まずはそれっぽく動けるかどうか?なんですよね。
これは良し悪しの問題ではなく、そういうものだということ。
自然の理に適った身体の使い方が出来たからといって、
身体表現にはなりませんでしょ?
身体表現にはそれ特有のリズムや動きが必要ですものね。
ですけれど、
その部分的な動きをする際にでも、関節構造に沿っているかどうか?はとても重要。
これを無視、或いは知っていませんと、
身体に変な負担がかかってしまいケガや故障を生んでしまいます。
それにですね、関節構造に適えば適うほど、
きれいな動きになるんです!
嬉しいですよね!
ケガや故障をしづらい上に、
きれいに見えるんですもの。
で、この部分的な動きでの”関節構造に適えば適うほど”ということですけれど、
これはどれだけ本当に部分だけで動けるか?
ということと同じだと思って下さい。
私たちは大抵、どこかを部分的に動かそうとしましても、
その動きに他が引っ張られてしまうんですね。
例えば、
ぶら下げている腕の肘から先だけを持ち上げようとしますと、
肘が前に出てきてしまいます。
顔を右に向けますと、首が若干右肩のほうに出てきてしまいます。
脚を股関節から持ち上げますと、お尻が前に出てきてしまいます。
どうですか?よほど意識しませんと、止めておくのは難しいですよね?
働かせる筋肉が違うんですね。
つまり本当に部分だけで動かすということは、
筋肉を繊細にコントロールする力が必要になってくるということであると同時に、
動かしてはいけないところが本当に動かないようにコントロールすることも必要になりますから、
ある意味全身を使った動きと言ってもいいと思うんです。
ですから、これは意外にハードな練習なんですね。
地味な上に、神経を集中させなければいけません。
ただ、まぁ、だからこそ、とても良い練習なんですよね。
自分の身体のどこを動かして、どこを動かさないかということが徹底して分りますし、
何より集中力が格段に高まります。
下手に瞑想しようとするよりも、よほど余計なことを考えずに集中できますよ。
そうやって、本当に部分の動きが出来てきますと、
身体全体を1つとして使う動きの質も上がってくるんです。
(全体を1つとして動く訓練をしていれば、ですよ。)
「部分で動かす」といいながら、身体全体を意識し使いこなさなければ、
本当の部分での動きにはなりませんし、
「全体で動く」ときでも、部分部分がきちんと動いてくれないと、
本当の意味での全体にはならないんですね。
筋肉というものは、ただ鍛えて強くするだけでなく、
使い方を教え込むことで、本当の意味で役に立ってくれます。
身体表現や音楽などでしたら、表現の質が変わってきますし、
スポーツなどでしたらより身体パフォーマンスが上がると思います。
そして何より、
運動は苦手な人でも楽しめる訓練だと思うんです。
運動の楽しさというよりも、身体を使うことの楽しさ。
私たちは自然の理に適った身体の使い方を、マイムで学んでいきます。
私たちは自然の理に適った身体の使い方を磨くことで、マイムの質を上げていきます。
身体表現・・・それっぽく動くことでもいいのかもしれませんけど、
“それ”として動くことを大切にする。
これまでなかなか理解が得られませんでしたけど(私の伝え方も良くなかったのかな?)、
このところ熱い賛同者が増えてきてくれています。
そして、
みんな表現力が高まっていますし、何より楽しそうです。
いいですね~。