オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

きれいな姿勢を目指すと、感覚が閉じてしまいます。

前回、「がんばらないことのすすめ」といったお話をしましたけれど、
体のがんばりで一番の問題は、筋トレやストレッチ、ランニングをがんばるといったこと以前に、
姿勢でのがんばりではないかと思います。


「背筋を伸ばしましょう」
というようなことがよくいわれますよね?

これ、大問題なんです!!

それと
「胸を張って颯爽と歩き(走り)ましょう」

というのも、大問題!!

これが既に、がんばり過ぎなんです。

背筋を伸ばしたり、胸を張るって、
何だか良いことのような気がしますけれど、これはまやかしです。
「きれい」を意識させる悪魔のささやきだと思って下さい。


「きれい」というのは宇宙の法則に則っていない、非常に人工的な尺度でして、
それは人が頭の中で作った基準に過ぎないんです。
ですから、時代や地域が違えば、変わってくるんですね。


大事なのは「自然」です。

背筋を伸ばしたり、胸を張るのは不自然です。

がんばらないといいますのは、自然の法則に則ろうとすることですから、
“良いがんばらない”が出来てきますと、自然の法則に則った美しさも現れてくるはずなんですね。
へたに「きれい」を目指さない方がいいと思うんですよ。


ところで、踊りを習うと姿勢が良くなると思われるかもしれませんが、

これも危険なんです!!

そもそも踊りはきれいに見せることが重要で、
もちろん、全くいけないということではありませんけれど、
どうしても形という見た目に捕われてしまいますでしょ?
変ながんばりをしてしまうんですね。


私が一番自然だと思いますのは武術系でして、それも力のぶつかり合いではない、
合気道古武術古武術という言い方が良いのか分りませんが)といったものです。

これらは、エネルギーを伝えるのに必要な形や動作をするだけで、
見せるための余計なことはしませんし、洗練されれば洗練されるほど、相手に悟られないように
「がんばり」からは遠くなっていくのだと思うんです。

逆に言いますと、合気道古武術の使い手の方がきれいに立ち、歩いているからといって、
それを表面的に真似ても全く意味を成さないわけでして、
簡単に弾き飛ばされてしまうのがオチですよね。
結果としてきれいであることと、きれいを目的としてしまうことは、
中身があるか無いかの大きな違いです。


人間(生き物)の体は表面の皮膚の下に、筋肉や脂肪、内臓、血液などなど、
いろいろなものが詰まっていて、それが内側から押しやって膨らんでいるようなものですよね?
もし、中に何も詰まっていないのに、立体にしておこうとするなら、
どうしても外側を硬い素材で作る必要がありますでしょ?
(ビニール袋を空気も入れずに立体化しようとすれば、固めるしかないですものね。)

多くの人がそうやって、
内側を抜きにして外側を固めることで、見た目を同じようにしようとしてしまうんです。



目に見えるところは、目に見えないもので出来ているんです。

見えないところに目を向ける必要があるということなんです。


姿勢というものは、どうしても見た目に捕われてしまいます。
指導する側も見た目のことを指標に教える方が楽ですし、教わる側も分りやすい。
ですから、お互いに楽なんですけど、
それは本当に大切なことから目を背けた行為
だと私は思うんですね。


姿勢(「立つ」「歩く」)の問題は当たり前の行為だけに、根深いですから、変えていくのは大変ですけれど、
根本であるだけに、ここの改善具合はそこから派生するあらゆる動作に好ましい影響が及ぶと思います。

自分の感覚と向き合うことが大事だと思います。

がんばりすぎますと感覚が閉じてしまいますから、注意が必要ですね。

感覚が閉じてしまう運動ではなく、感覚が開くような運動
例えば、「JIDAIメソッド」や「オーガニックマイム」はどうでしょうか?
(またしても、最後は宣伝になってしまいました~。)





マイムから心と身体の平和を  http://jidai9.wix.com/jidai

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