身体の使い方って、実に繊細な世界だと思うんですね。
ほんのちょっとした違いが、結果を大きく左右してしまう。。
大抵、私たちは大雑把に動いているものですから、
その中で、たまたま良い動きが出てくることがあっても、
再現は出来ない。
本当にたまたま。。。
大雑把といいますのは、筋肉を働かせ過ぎたり、休ませ過ぎたり、
働くべき筋肉と休ませる(抵抗しないようにする)筋肉とが、一緒くたになったりということ。
なので、やはりケガをしやすかったり、すぐ疲れてしまったり、息も上がりやすかったりする。
私はこういう筋肉を
「大雑把な筋肉」
と呼んでいます。
まぁ、そういう私自身も昔は大雑把な筋肉でした~(笑)
本格的にマイムをやり始めてから、少しずつ改善していったんです。
それまで、独学的にやっていたころは(ブレイクダンスも並行してやっていたんですけど)、
全くもって好き勝手にやっていましたね。
運動神経が良いわけでもなく、センスがあったわけでもないのに(笑)
ですから、今の私のこの手の話に興味を持たなかったり、習いにいこうとは思わない人の気持ちは、
よ~く分かります(笑)
それでも、私は自分が目覚めたように・・・
別にケガをしてでもなく、ましてや現役引退後でもなく、
むしろ本格的にマイムをやっていこうと思ったことで、身体の使い方という世界に目覚めたように、
いつでも誰でも、目覚めることがあると思っているものですから、
今は全く必要無いと思っている人たちに対しましても、温かい目で待っているんです。
話がそれました。。。
そういった大雑把な使い方を改めることが、身体の使い方を良くするということですから、
そのトレーニングはどうしたって繊細なものにならざるを得ませんよね?
その繊細な動きを学ぶのには、弱い弱い力で出来ることで、丁寧に動いていく必要があるんですね。
何しろ、今まで大雑把だった、つまり神経が通ってないわけですから、
新しい神経回路を作る必要があるんですよね。
強い力が必要な動きをしてしまいますと、つい今までの神経回路を使ってしまいます。
それが楽だから。
身体の使い方を学んでいくといいますのは、実に神経が疲れる作業なんです(笑)
ところで、スポーツはもちろん、音楽系でも何でも、
最終的にはパワーやスピードが必要になってくるですよね。
長い時間やりつづけるということも含めて。
多くの方は、このパワーやスピードの出し方をより良くしたいであるとか、
長時間でも楽に続けられるようになりたいというのが、
身体の使い方を見直すことの大きな理由だと思うんです。
そうしますと、本当に身につけたいのは、
弱い力でゆっくり丁寧に動くことではないはずなんですね。
何度も言いますけれど、弱い力でゆっくり丁寧に動けば出来ることでも、
いざ!という時には、つい今までの神経が働いてしまうものです。
そしてそれは裏を返せば、弱い力でゆっくり丁寧に動くことも、
本当には出来ていないということなんです。
もう6~7年前でしょうか?ピラティスのレッスンを何度か受けたことがあるんですけど、
こんな難しいこと、誰が出来るの~!?
って感じでしたよ。
あんなに精度の高い動きで、かつ筋力をしっかり使うなんて、
一般の人は到底出来ないだろうと思ったんですよね。
(それでも、流行ってますね~笑)
まぁ、そういう感じで、今まで休んでいた神経ですから、自分の力で活動させるのは容易ではない。
まして、パワーやスピードが必要な動きであれば、なおさら。
ぐっすり眠っているものを起こすのに、優し~くそ~っとばかりでは、起きてはくれたとしても、
ばっ!と働いてはくれないんですよね。
例えば、自転車に乗れるようにと、自転車に乗ることなく、
足の効果的な動かし方やハンドルの握り方、背筋の伸ばし方をどれだけ繊細に練習しましても、
とても乗れるようになるとは思えませんでしょ?
もし、そういう練習をするなら、ある程度乗れるようになってから。
まぁ、自転車ほどではなくとも、新しいことって、
とにかくある程度出来るようにならないと、
細かなことはどうにもならない!
そう思うんですね。
身体の使い方を改めるということは、
新しいことを学ぶということ。
ですから私は、ある程度のパワーやスピードが必要な動きで、
その神経(筋肉)が働かなければ出来ないような動きをレッスンに取り入れているんですね。
(ですから、大抵、一般的には見かけない動きをすることになります。)
何となくは出来るんだけど、それでも何か違うなと、
出来ている出来ていないが、ある程度自分ではっきり分かるようなものですね。
これは、本来の筋肉をそ~っと起こすのではないので、
一見厳密さには欠けるように思われるかもしれませんけれど、
そこは、出来るにしたがって徐々に精度を高めていきますから、大丈夫!
それより何より、重要なことがあるんですね。
それは、本当は働いて欲しくない筋肉をつい使ってしまう、ということ自体に気がつくこと、
そこに休んでいてもらうことを覚えていく・・・
これが出来ませんと、全ては水の泡。。。
これまでの使い慣れた筋肉のほうが、大きくて神経が通りやすく、
新しい筋肉は小さくて神経が通りづらいわけですから、立場を逆転させなくてはいけない。
繊細なトレーニングで、新しい神経に目覚めてもらうだけでは、用を足さないんです。
これは本当に重要なことなので、もう一度。
繊細なトレーニングで、新しい神経に目覚めてもらうだけでは、用を足さないんです。
いざという時にこそ、その新しい神経に働いてもらい、
従来の神経には休んでもらう必要があるんです。
ですから、
「いざ」という状態を想定したトレーニングをしつつ、
繊細なことをやっていくわけです。
そうしますと、
繊細な動き・感覚と力強い動きとのつながりが、身体で理解出来てくるんですね。
そうでありませんと、
いつまでたっても、繊細な練習が力強さを生む力になれないのではないかと思うんです。
落ち着きやすい環境で平常心でいられる訓練をしていても、
いざという時に平常心でいられないなら、仕方ない。
そんな感じですね。
極端な言い方になりますけど、
力強さから見れば、繊細さ(繊細に身体の使い方を見直していくこと)は机上の空論なんです。
それを見返すといいますか、打ち破る強さが必要なんです。
繊細だからこそ、強いのだと!!
そのためには、繊細な世界でふわふわと漂ってはいられない!!
とまぁ、そんなわけで、
力任せでない繊細さを兼ね備えた実際的な(いざという状態を想定した)動きと、
本当に繊細な動きのレッスンとを並行させる。
両方向から動きを改善していくのがいいと思っていますが、いかがでしょうか?
(ちなみに、私のレッスンではクラスによっても、日によっても、その比率は異なります。)
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!