オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

体よ、思い出して~。

体といいますのは、なんて記憶力が無いんでしょう。
いえ、記憶力は脳と同じで、おそらく全てを憶えているとは思うんですけど、思い出してくれませんね。

私のマイムクラスでの最も重要なことは、体の使い方。力の伝わり方。力の発生のさせ方。
(言い方は違いましても、全部同じことなんですけど・・・)

これは、一度出来たからといって、また出来るわけではないんですよね。
そう・・身に付いていないものは、出来ない。

簡単に言いますと、クロバットと同じでありまして、何か凄い技が一度出来たからといえど、その後、確実に出来るようになるわけではない、ということですね。

当たり前といえば、当たり前なお話。

ところが、アクロバットの場合ですと、出来た出来ないがはっきりしますから、きちんと身に付くまで練習しますけど、マイムの場合ですと、一度出来た気になりますと、身に付くまできちんと練習することの大切さを、忘れがち。

そして、何をもって身に付くというのかといいますと、やはりそれは、無意識でも出来てしまうことだと思うんです。

マイムはある意味、日常生活の延長ですから、たとえば「握る」ということを、マイムでもするわけですけど、ほぼ、大抵の場合、日常での「握る」時の力の使い方・伝え方が間違っていますから、マイムでも間違ってしまうんです。

(握る時、手に力を込めてはいけませんで、もっと体幹との接点部分に意識を置いた方がいいんです。)

良い使い方をマイムの練習時に出来たとしましても、日常での使い方が変わらないのでありますと、結局、練習量(握る頻度)は、その間違った日常のやり方の方が、圧倒的に多いわけですから、体としましては、相変わらず練習以前のまま、ということになりますでしょ。

これは、もちろん私自身にも言えることでして、まだまだ、という感じです。

(マイムの場合は素振りですから、日常という本番ですと、どうしても素振りのように上手くはいってくれないんですよね。情けない・・・)

けれど、やはり出来る限り、無意識に近いところで動けませんと、表現になりませんしね。

体を見せるわけではなく、あくまで、そこから生み出される目に見えないものを、伝えないといけませんから・・・自分自身は隠れなくては・・です。

「見せて、見られて、なんぼ」の世界ですのに、自分自身を見せたいと思っていると、本当には身に付かないのだろうと思うんです。
あぁ、なんとしたことか・・・まぁ、だからこそやり甲斐があるのだな、とも思うわけで・・・。

間違った日常を繰り返しているうちに、せっかく練習で掴んだ、いい感覚が、徐々に薄れていき、思い出そうともしなくなってしまう。
記憶していることすら、忘れてしまう。

マイムが非日常であってはいけないんです。