オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

力をいれれば力が出る、というわけではない。

力をいれれば力が出る・・・わけではない。

力を出そうとしますと、つい力を込めてしまいますけれど、そうではないんですね。
力を込めるという感じではないほうが、力が出るんです。


昨日の「オーガニック!!トレーニング体験会」で皆さんにその違いを体験していただく時間を少し作ったんですけど、
この変な現象に皆さん一様に、
「???どうしてこうなるの?」
と目を白黒させていました。

単に私がやってみせたというのではなく、皆さんご自分で実際に出来てしまっているだけに、余計に不思議な感じがするんですね。


もし私が気功家として自分をアピールしたいと思っていましたら、この現象を
「気が流れているかどうかなんですよ。」
なんて言いながら、
「さあ、気を練る練習をしていきましょう。」
なんてするのかもしれませんね。

ただ残念ながら私は気功家ではありませんので、単に”身体の使い方”ということにしてしまいます。
いいのか、悪いのか・・・


まぁ、それはさて置きまして、この実験で分りますことは、
自分の内の感覚と外に現れるものとは、同じではない
ということなんです。
頑張れば結果が伴うというわけではないということでもあります。



身体の使い方が悪いままで筋トレ・ストレッチをしましても、それはもったいない。
設計上に問題がある機械の出来の悪さを、単にエンジンを大きくしたり、油をたっぷり差したからといって、基本的に改善しませんでしょ?


私たちはそれと同じ過ち犯しているんです。

設計上の問題を無視して(身体の使い方の悪さを無視して)、あっちの筋力が足りないから筋トレ、こっちの柔軟性が足りないからストレッチ・・・
もちろん、現状の身体の使い方での筋力や柔軟性は上がるでしょうけれど、やはり設計自体を見直したほうがいいと思いますでしょ?


ところが、事はそう簡単にはいかない。。。
頭ではその重要性を理解しましても、身体が拒否するんですね。
これまでの身体の使い方のままで筋トレやストレッチをしたほうが、楽ですから。

”楽”というのは語弊があるかもしれませんが、筋トレやストレッチはやった分だけ結果が見えてきますでしょ?上り坂のように上昇していきますよね。

一方、身体の使い方の訓練となりますと、そうはいきませんで、停滞期間が必ず生じてしまいます。そう、「こんなことやっていて、本当に良くなるのかなぁ・・・」という不安との戦いでもあります。
そういう意味で厳しい。


けれど、身体の使い方という神経系のものは、あるとき急に出来るようになったりするんですね。
それまで、あっちの回路を組み立て、こっちの回路を直し、と全体としては何も変わらないといいますか、場合によっては機能不全に陥っているかもしれませんのに、あるとき、それらの複数の回路が結びついてしまうんでしょうね、これまでウンともスンとも動かなかったものが、突然動き出すような感じです。

そこまで耐えられるかどうか?


比較しますと、
”筋トレ・ストレッチ”派は肉体的耐性が必要で、
”身体の使い方”派は精神的耐性が必要
ということになりますでしょうか。


肉体的資源に恵まれた人は当面の結果を出しやすいですから、身体の使い方にはあまり目が向きませんし、
結果が出ない肉体的資源に乏しい人は、結果が出ている肉体的資源に恵まれた人を手本にしてしまいますから、やはり身体の使い方にはあまり目が向かず、筋トレ・ストレッチで追いつこうとしてしまいます。
追いつき、追い越せればそれでもいいんでしょうけど・・・


身体を壊してでも目の前の結果が必要なこともあるでしょうから、どちらが良いということではありませんけれど、身体パフォーマンス(日常動作でもスポーツでも)を上げる方法として選択肢があるんだと思っていただけたらと思います。




マイムから心と身体の平和を

オーガニックな(生きた)カラダに http://jidai.mond.jp/