オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

筋力や柔軟性の向上を勧められるワケ

筋力や柔軟性は、数値化しやすいですから、トレーニングの励みになりますよね。


一般的にトレーニングといいますと、筋力や柔軟性の向上を勧められると思いますけれど、
実はこれ、何も本当にあなたに必要だからと勧められているのではないと思います。


筋力や柔軟性の向上は、単に、教える側にとっても、教わる側にとっても、数字で示すことできる安心感があるからです。
目に見えるので、やった感があります。


それに比べまして、動き方というものは、なんとも漠然としていますよね。




ところで、


単純に言いますと、筋力や柔軟性は「量」。動き方は「質」。


もうひとつ・・・筋力や柔軟性は「外観的」。動き方は「内観的」。


だと、私JIDAIは思っています。


ただし、よくあるハウツーもので形を教えているようなものは、それは質ではないですし、とても外観的。ここでは、動き方とは考えていません。




筋力や柔軟性の向上と動き方の向上、どちらかが不要ということではありませんけれど、
どちらをより大切にすることが、あなたの本当に求めているものを手に入れることが出来そうか?



以前に少しお話したことがありますけれど、トレーニングの現状って、

「幸せになるために」といって
「お金の貯め方、儲け方を教えている、習っている」

ようなものだと思うんです。



これは「幸せ」という漠然としたものでは、教えようがないので、
「お金の量」にすり替えてしまうようなものだと、私には感じられます。



いえ、本当は「動き方」に目が向いていないのかもしれません。
「幸せ」=「お金の量」だと思い込んでいるようなものかもしれません。



他人がたくさんお金を持っていると羨ましくなるように、筋力や柔軟性がある人を羨ましいと思う。
筋力や柔軟性が上がれば、身体パフォーマンスが上がる、健康になれると思ってしまう。


お金をどう使うか?で幸せの質が変わるように、
身体をどう使うか?で身体パフォーマンスも健康も、その質が変わってくるのに。。。



例えば、幸せについてであれば、
幸せとは何か?を考えさせたり、幸せだと思える行為を自覚させることが、根本的なこととして必要であるように、

身体のことも、身体を動かすということに自覚的になれるよう、また身体パフォーマンスとは?健康とは?ということの、より本質的なことに目を向けさせるようにすることが、
教える側、導く側には求められるのではないかと思います。



本質から目を背けて、不足分を補うということは、錆び付いた自転車を漕ぐために必死になっている感じがします。
私は錆びを取ることに目を向けたいと思っています。





マイムから心と身体の平和を